
▲大きな目と耳、裸の長い尾が特徴
キナバタンガン川は全長350キロメートル、サバ州最大の川。河口から60キロメートル上流にスカウ村があります。第二次世界大戦前からの静かな漁村ですが、今ではテングザルやアジアゾウに会うエコツアーの拠点として観光客で大変にぎわっています。
2010年6月のこと。私は、スカウにあるリゾートから「動植物観察用の遊歩道を作って欲しい」と依頼を受けました。約5ヘクタールの敷地は、全体が丘陵で多くが伐採後の二次林、一部には果樹が植えられ残りは原野になっています。大きなイチジクの木や、ランブタン、マンゴーなど実のなる木もたくさんあります。カニクイザルやミケリス、サイチョウがいつも見られ、時にはオランウータンが滞在したりゾウが来たりすることもあります。
私の滞在中、ラハダトからサイモンさんがやってきました。ダヌムバレー保護地域で10年間ガイドを勤めた人で、サバ州一の自然観察者です。日中、私は彼を連れ立って、すでに山刀で目じるしをつけた1.5キロメートルのコースを歩いてみました。
「メガネザルだ」。林に入ってじきに彼が言いました。臭いがすると言うのです。50メートル行った所でも同様なことがありました。しかし、辺りを探してみても、見つけることができませんでした。
そこからしばらく行った所で、私は落ち葉が腐ったような臭いを感じました。「センセイ」。彼は私をそう呼ぶのですが、「臭ったでしょう」とすぐ後ろから言ってきました。私がうなずくと、「これです。メガネザルはバッタが腐った臭いをしています」と言うのです。これなら、私も何度か経験しています。
私たちは立ち止まってしばらく探しました。そして、とうとう彼が見つけ出しました。すぐ近くの木の幹にしがみついて眠っていました。地上から8メートルの高さ、幹の太さは20センチメートルほどです。メガネザルは蔓やいっぱいある葉の陰に隠れて、長い尾と尻の一部しか見えていません。
「良く見つけられるものだ。」私は彼の能力にすっかり敬服しました。これまで私が見たメガネザルは、すべて偶然の出会いです。彼のお陰で、これからは臭いでも探すことができそうな気がしました。

▲手足の指の先端は吸盤状に丸くなっている

▲むしろ、細い木で活動することが多い
メガネザルは体長10~15センチメートル、体重100グラムの小さな動物です。全身が明るい褐色で、ちょっと見る限りではサルに違いありません。ところが、良く見るととてもユニークな生き物です。まず、フクロウのように極端に大きな目をもっています。目は動きませんが、フクロウと同様に頭を180度回転させることができます。耳は大きく、動かすことができます。20センチメートルもある長い尾は、先端を除いて毛がなく、ネズミの尾に似ています。さらに足が長く、細長い指の先端はカエルの吸盤のように丸くなっています。このような特徴から、サバ州各地では「寄せ集めの動物」という意味の、それぞれの部族語で呼ばれています。
現存するメガネザルは3種類に分類されています。フィリピンメガネザルはミンダナオ、ボホル、レイテ、サマルなどフィリピン南部の島々に分布し、スラウェシメガネザルはスラウェシと、その属島に分布しています。ニシメガネザルはボルネオメガネザルとも呼ばれ、ボルネオとスマトラ、および隣接した島々に分布しています。ボルネオ島では広く分布しているものの、私の経験ではカリマンタンに少なく、サバで会う機会が多いと感じます。
ボルネオ島に分布する霊長類はほとんど昼行性ですが、メガネザルはスローロリスと共に夜行性です。明るい二次林や植栽したアカシア灌木林など様々な環境に棲んでいますが、決まって細くて若い木が多い下層部を好み、地表から7メートルくらいまでの高さで活動しています。移動は非常に特徴的で、体を垂直に保ったまま跳ねとんで、別の枝にしがみつきます。動きはどことなくアオガエルなど樹上に棲むカエルと似ています。肉食性で主にガ、バッタ、セミ、ゴキブリなど大きめの昆虫類を食べていますが、トカゲやヤモリを襲うこともあるようです。
メガネザルの学名と英名は「長い足をもつ動物」という意味ですが、英語で「Specter Lemur(メガネザル)」と呼ぶこともあります。マレーとインドネシア名の意味は、それぞれ「おばけ猿」、「おばけ動物」です。メガネザルはすっかり日が暮れてから動き出すし、偶然見つけたときの大きな丸い目、人に似た平たい顔、音も立てずにピョーン、ピョーンとジャンプする姿が、おばけを連想させるのでしょう。ちなみに、メガネザルとよく似た風貌や動きをするフクロウは、「おばけ鳥」と呼ばれています。
メガネザルはツパイと同様、南アジア特産の動物です。しかし、両者とも祖先型はヒマラヤ山脈の北側から化石として発見されています。つまり、かつては今の南アジアから中国あたりにまで分布していたということです。ところが鮮新世の終わり頃の、今から200万年前にヒマラヤ山脈が完成し、それによって分布域が北と南に分断されてしまいました。その後、メガネザルは気候あるいは何らかの原因で北の分布域では絶滅してしまったのでしょう。
和名/ニシメガネザル
学名/Tarsius bancanus
英名/Western Tarsier

安間 繁樹(やすましげき)
1944年 中国内蒙古に生まれる
1963年 清水東高等学校(静岡県)卒業。
1967年 早稲田大学法学部卒業。法学士。
1970年 早稲田大学教育学部理学科(生物専修)卒業。理学士。
東京大学大学院博士課程修了。農学博士(哺乳動物生態学専攻)。
世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。財団法人平岡環境科学研究所評議員。環境省「身近な野生生物の観察」指導委員。
2004年 市川市民文化ユネスコ賞受賞。
若い頃から琉球列島に関心を持ち、とくにイリオモテヤマネコの生態研究を最初に手がけ、成果をあげた。1985年からは、おもに国際協力機構(JICA)海外派遣専門家として、ボルネオ島で調査および研究指導に携わってきた。西表島とボルネオ島に関し、あるがままの自然と人々の営みを記録すべく歩き続けている。
著書 西表島および琉球列島関係
『西表島自然誌』(晶文社)、『石垣島自然誌』(晶文社)など
ボルネオ島関係
『キナバル山 ボルネオに生きる自然と人と』(東海大学出版会)、『ボルネオ島最奥地をゆく』(晶文社)、『ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド』(文一総合出版)など多数