今シーズンの冬は、雪が多くなると昨年から言われていたように、各地大雪となりました。もちろん私が住む北陸地方も確かに雪は多めとなっています。しかし、私の子供の頃はこんなレベルではなく、12月から降りだした雪は根雪となり、2月や3月まで残っていたのが懐かしいほどで、それからすると今年は大雪とはいうものの余り実感が湧かないのも事実なのです。やはりこれも温暖化で、気温そのものが高めで、私の地方では、昔と違い根雪にならずに数日で融けるために3月まで残らないのです。

昼下がりオオシラビソに寄り添うように眠る。いや、ほぼ一日動かずに過ごしている。
冬になると決まって思い出すのは雪遊びです。小学校の頃両親は共働きで、学校から帰って来ても誰もいません。あの頃は雪も多く、帰って来た後に友達の家に遊びに行く事もなく、玄関先でひとり遊んでいたように記憶しています。狭い玄関前ですが、雪で小山を作り、そこでソリ遊びに夢中になってこの上ない喜びだったと思い出します。せいぜい3ートル程度の雪で作った斜面だったかとは思うのですが、小学校の低学年当時の自分には十分楽しくて、親が帰って来ても家の中に入らずに、真っ暗になるまで玄関前で遊んでいたものです。でも、自分は小さいころから運動系は苦手だったのですが、この遊びのお陰でスキーは普通に滑ることが出来たものです。

気温はマイナス10度以下。日の光で融けた雪が氷柱になる。
もうひとつ思い出したのは学校でスキーの授業なるものも存在していました。何しろ春まで雪は融けなかったので、スキーの授業が成り立ったのです。中学の頃は、学校のグランドに大きな雪山を重機で作り上げての滑降練習の斜面があったほど。思い出すほどにただ懐かしく、良い思い出になっていると思いますが、他のスポーツは大の苦手なのでした。

やはり寄り添うようにじっと佇む。ふわふわの雪の為、尾羽がすれて軌跡が出来る。
子供って理屈抜きに雪が好きなのですね。当時、手袋は毎日雪で濡れ、長靴の中も雪が入っても苦にならずに遊んでいたものです。そして家に入って毎晩のように手袋と長靴を乾かす日々だったのでした。
でも考えてみると、もしかしたら自分は今も子供のままなのかもしれません。雪は大好きで、雪が降らないよりも降ってほしいと思っている自分がいるのも事実。昔は遊べるからという理由だったかもしれませんが、今は雪景色が綺麗という感覚もあり、降り出すと心なしかウキウキ気分。

高山帯は雪で覆われて餌もないため、森林限界まで下りて生活。
オオシラビソの葉は重要な食糧源となっている。
ライチョウを撮っていてもそう。やっぱり残雪の春山や、冬の雪山での撮影はテンション上がります。歩いていてもラッセルしていても楽しいもの。それを思うと、私は今でもずっと子供なのでしょう。

食べ終えればまた休む。動かないことが得策のようだ。
雪の中でたたずむライチョウ。その姿を収めようとしている時が一番幸せを感じることが出来る。それは童心に戻りかつての喜びが蘇るのかもしれない。彼らライチョウもまた、冬の姿が一番生き生きして逞しく見える。神の鳥だなと感じる。それはから生きて来た銀嶺の覇者たる記憶が蘇るからかもしれない。