自分は小学生の頃から鳥に興味を持ったのですが、知れば知る程様々な種類の存在に気が付き、やがて珍しい鳥にはさらに興味を感じたものでした。結果的に身近ではない山に生息する鳥やイヌワシの様な猛禽類、さらには高山帯に生きるライチョウへと憧れが高まっていったのです。高山という生息環境や岩場に立つ姿のイラストに影響された経緯もあり、わたしの頭の中では、ライチョウは強く逞しく神秘性も秘めた鳥との強い印象が即座に根付いたのです。また、古い文献には神聖に扱われて崇拝されてきたような事柄も書かれており、神格化した特別な存在に作り上げていました。そう、強固な威厳を放つ神の鳥に。

5月、岩場に立つ姿は凛々しくも逞しい。
イメージとは恐ろしいもので、一旦出来上がると崩れるのは難しい。特にライチョウの場合は一般にも神の鳥や神秘の鳥等、逞しそうなイメージを抱かせる表現が多々見受けられ、一般にも少なからずは別格なイメージがあるかもしれません。自分は人生の6割以上をライチョウに集中して向き合い撮影を継続してきました。その間も一貫して神秘性や逞しさをテーマや表現として写真公開してきました。彼らの姿をより身近に接して来たので、彼らの事は誰よりも見てきたつもりです。それでも彼らのイメージは一貫して変わることは無かったのです。

6月、左のメスに求愛行動をする雄(右)
ここ最近、急激にSNSでの情報発信が行われています。それはライチョウの写真も同様で、実に様々な人たちが動画や写真を投稿しています。写真というのは撮る人のイメージが現れ、神秘性を表現する写真はあまりありませんが、一般目線のライチョウの日常の様子が広がることは、今の知名度の低いライチョウには大切でもあるのです。そこから伝わるイメージは可愛さであったりや逞しさもあるのですが、実はライチョウは良くズッコケるのです。ヒナも斜面で転がることはあり、雛だけにそれは仕方ないと思うのですが、それにしても大人のライチョウの転びやすさは何だろうか。斜面から転がり落ちたりハイマツの枝から転落したりと。これがたまたま自分だけ目撃している訳では無いいうことが、ネットを見ればわかりやすいのです。斜面から落ちる、転がる、さらにハイマツから転落する映像をくつも見たことがあるくらいでして。

人を基本的に恐れないライチョウだからこそ、雄大な背景を背に目の前を通過していく事もあるのです。
先に書いたように、人が懐くイメージは崩れ難いもので、ずっと神秘性や強いイメージを表現して来たのですが、ズッコケシーンを見る数を重ねるにつけついにイメージが変化しつつあり、自分の撮る写真も強さより可愛い写真が増えてきたように感じるのです。そしてそんなこんなの今年、でこぼこの雪面で大きく転倒する雄ライチョウを見てしまったのでした。その瞬間、ずっと感じて来た神の鳥という威厳が崩壊してしまったのは言うまでも無かったことです。ただ彼等への愛着はさらに増したわけでもあるのですが。

彼も私も余りに瞬間の出来事で驚く暇もなかったのですが、目の前で思いっきり転倒。
どんなにカッコ良く凛々しいところを見つめてきても、この一瞬で崩壊したのでした。