空を飛ぶことができるコウモリは、海洋島にも自力でたどり着くことができるので、太平洋の真ん中の島々にも生息している。こういった島々では、在来の哺乳類はコウモリだけということも多い。これからしばらくのあいだ、南太平洋の島国のコウモリ旅を報告したい。
サモア諸島は19世紀に欧米各国が南太平洋の島々を植民地として取り合ったときに西経171度線で分断され、1899年、西側がドイツ領に,東側がアメリカ領となった。 1962年ドイツ領サモアは西サモア(現在は改名してサモア独立国)として独立、東側は現在までアメリカ領のままである。日付変更線がこの間を通るので、両国は一日日付がずれている。

南太平洋全体図
このポリネシアの一角にあるアメリカ領サモアは、アメリカ合衆国領土のなかで唯一南半球にあり、グアム島を除けば合衆国でオオコウモリの生息する唯一の場所でもある。面積は島々を合わせても200平方キロメートル弱で石垣島の大きさにも満たない。人口は5万5千人ほど。
ここに国立公園ができたのは、アメリカのコウモリ保護団体Bat Conservation International(BCI)の力が大きい。ここにはサモアオオコウモリPteropus samoensisとトンガオオコウモリPteropus tonganusの2種類のオオコウモリが生息しているが、1980年代始めに、アメリカ領サモアで植物の調査をしていたポール・コックス氏がサモアオオコウモリの減少をBCI創設者であるマーリン・タトル氏に相談をしたのが始まりだ。議会に働きかけ、1988年11月1日に合衆国議会で、この地を国立公園とすることが認められ、1993年に公式に開設された。土地自体は地元サモアの人が所有し、アメリカ領サモア政府(8つの村を代表する)と合衆国政府が国立公園区域の50年リースに合意したという形を取っている。だから区域内でも土地所有者であるサモア人は、ここで伝統的な生活をおくるために薬草を採集したり集会を開いたりすることが認められている。

サモアオオコウモリ
そんなオオコウモリ保護のために設置されたという国立公園を見たくて、1999年7月23日から28日までアメリカ領サモアに滞在した。
アメリカ領サモアには、日本からはハワイのホノルル経由で行くのがいちばん合理的だ。それでもホノルルからアメリカ領サモアへ行く飛行機は週2便しかない。日本人だらけの成田ホノルル路線から、ハワイアン航空へ乗り換えると、機内には重量級のお客がどっと増えた。アメリカ領サモアの日本との結びつきといえば、大相撲の小錦だろう。小錦自身はハワイ出身だが、両親はアメリカ領サモア出身でハワイに移住した。ということで飛行機は、ああいった体型をして、ラバラバという派手な模様の布を腰に巻き付けた男女がたくさん搭乗していた。お客は6割くらいしか乗っていないが、隣に彼らが座ると圧迫感を感じる。特に体の大きな人はわざとそう配置したのか、一席ずつ空けて座っている。乗務員がお馴染みのシートベルトの使い方の実演をしたあと、延長ベルトを手にして通路を歩いている。長さが足りなくて必要な人もいるのだろう。啓子のたっぷり3倍の体重はあるのに同じ料金なのは不公平だと思う。実際に2012年から2015年までサモアを中心とする島々で小さな飛行機を運航していたSamoa Air(Samoa Airwaysとは別の会社)という航空会社は体重と荷物を合計した重さで運賃が決まるシステムを取り入れていた。なかなかいいアイデアだと思うのだが。
ホノルルから南へ約6時間、赤道を越えた南太平洋の真ん中にあるアメリカ領サモアの中心地ツツイラ島に着いたのは1999年7月23日、現地時間で夜の21時25分であった。
空港からはレンタカーで宿に向かうが、夜の雨の中、まったく知らない土地での右側通行、こんなに緊張した車の運転は、初めての路上教習以来かもしれない。
翌日、まずは国立公園のビジターセンターへ情報収集に行った。一般的にアメリカの国立公園のビジターセンターというと、パンフレットなどの資料が充実していて、レンジャーが解説するプログラムがいくつもあることが多いが、ここは本土から遠く離れお客はほとんど来ないので、自然観察プログラム等は皆無である。生物と考古学の専門家が一人ずつと、公園のメンテナンスをしていると思われる男性スタッフ3人と他に職員2人、他にもいるかもしれないが会ったのはそれだけだ。どこへ行ったら鳥やオオコウモリが観察できるか教えてもらったり、公園のパンフレットをもらったが、あいにくとその時いたのは考古学の専門家だけで、あまり詳しい情報は手に入らなかった。
しかし、近くにある海洋野生動物資源局(Department of Marine and Wildlife Resources)の野生動物部門には、オオコウモリの研究者ルース(Ruth B. Utuzurrum)さんと鳥の研究者ジョシュア(Joshua O.Sehmon)さんがいた。2人とも頻繁にフィールド調査に出ている研究者なので、ねぐらはどこにあるか、観察しやすいポイントはどこか、何を食べているかなどをよく知っていてありがたかった。
アメリカ領サモアは太平洋の真ん中の火山島なので、在来の哺乳類は3種のコウモリのみだ。
小コウモリはサシオコウモリ1種だけ。ルースさんによれば、ハリケーンで生息地の洞窟が浸水して現在の生息状況は不明だとのこと。滞在中は毎晩空を眺めていたが、小コウモリは見かけなかったし、バットディテクターにも反応はなかった。明け方まだ暗いうちに、大木の上空でたくさん舞っているものがいて、一瞬どきっとしたが、コシジロアナツバメAerodramus spodiopygiusだった。
サモアオオコウモリは、サモア諸島とフィジー諸島だけに生息し、ワシントン条約の付属書Ⅰ掲載種でIUCNのレッドリストではこの当時絶滅危惧Ⅱ類であった。2021年現在は準絶滅危惧なので、保護の成果があがっているのだろう。1995-1996年に行われた調査では、ツツイラ島には推定900頭ほどが生息していて、ここツツイラ島では結構姿が見られた。トンガオオコウモリも付属書Ⅰ掲載種だが、これはパプア・ニューギニアのカルカル島からサモア諸島、クック諸島まで南太平洋のかなり広範囲に生息していて、こういった国々の記念切手によく使われている。ツツイラ島では同じ1995-1996年の調査では5000頭前後が生息しているとされている。

トンガオオコウモリ

サモア独立国のオオコウモリ切手初日カバーとアメリカ領サモアのサモアオオコウモリコイン。初日カバー右側の切手の上2枚はサモアオオコウモリ、下2枚がトンガオオコウモリ。
アメリカ領サモアではオオコウモリを食べる話は聞かなかったが、1980年代にはかなりの数がグアムに食用として輸出され、生息数が減った。つまり遠くマリアナのチャモロ人のお腹に入ってしまったわけだ。また島々を襲うハリケーンもオオコウモリに被害を与えていて、個体数は実際のところは年によってかなり変動するようだ。
当時のわれわれにとっては、同じ地域に2種のオオコウモリ属が生息している場所は初めてである。大きさは、ルースさんのところで標本を並べた写真を見たところではトンガオオコウモリの方が若干大きいように見えたが、野外で区別できるほどの違いではない。日本のクビワオオコウモリやオガサワラオオコウモリと同じくらいで翼を広げると1m近くになる。
中心の街パゴパゴは、サマセット・モームの「雨」という小説の舞台となったことで有名だ。一時は観光に力を入れていたこともあったようで、そのなごりがあちこちに見られるが、現在は観光客はアメリカからほんの少し来るくらいだろうか。ホテルもレストランも寂れていてあまりまともに機能していない。日本からの観光客はまったく見かけず、中国や韓国の船が港に入るので、ChineseかKoreanかとは何度も聞かれたが、Japaneseかと聞かれたことは一度もなかった。

パゴパゴ湾は天然の良港。太平洋の真ん中にあるので、重要な港になっている。
われわれが泊まったレインメーカーホテルはアメリカ領サモア唯一の「大型リゾートホテル」のはずなのだが、プールの水は緑色に濁り、乾期のいちばんいい季節なのにお客はほんの数組だけ。ガイドブックに出ているレストランの一つは、メニューにはたくさんの料理が書いてあるのだが、どれを注文しても「できない」との返事が返って来る。どうやら客席にいるのはみな知り合いで、空いている席には猫もいる。レインメーカーホテルは2015年に取り壊されて(営業はもっと前に終了していたようだ)、現在はSadie’s by the Seaというホテルが建っている。

リゾートホテルの緑色に濁ったプールのまわりで結婚披露宴をやっていた

披露宴に出席していたラバラバ姿の男性。男性の正装は白いワイシャツに無地の灰色のラバラバだそうで、官庁の集まっているパゴパゴ湾のあたりでは、その恰好でブリーフケースを持ち、足もとはサンダルというビジネスマンの姿を見かけるが、なんとなく妙だ。