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Vol.74 台湾1 はじめての台湾旅行は緑島へ

2023.11.16

 クビワオオコウモリPteropus dasymallusは5つの亜種に分けられ、そのうちの4亜種は国内に生息している。これ以外にフィリピン北部のバタン島などにもいる(Vol.16)が、これは亜種不明である。1988年からクビワオオコウモリを見始めて10年ほどたち、国内4亜種はすべて見た。5番目の亜種タイワンオオコウモリP. d. formosusは、当時台湾の南東に浮かぶ緑島を中心に生息しているとされていたが、ほぼ絶滅状態。かつては最大数千頭いたとされていたが、1970年代に劇的に減少したらしい。減少の主な要因は、沿岸部での防風林造成による生息地の消失と、食用やペットとして乱獲されたことだと考えられている。1983年の保護法の施行後、狩猟圧は大幅に減少したが、失われた生息地は回復していない。

亜種の分布図

亜種タイワンオオコウモリ 後に2015年に龜山島で見た野生のタイワンオオコウモリ

 野生のタイワンオオコウモリを見るのは限りなく不可能だとはわかっていたが、わずかな可能性に期待して緑島へ行って島の様子を見ること、台北市立動物園で飼育されている個体を見ること、そしてコウモリグッズの本場としての期待も込めて、1999年4月29日台湾に向かった。

緑島位置図

 羽田空港から台北までは3時間10分、沖縄へ行くのとたいして変わらない所要時間だ。国内線が発着する松山機場へバスで向かう。この当時、英語圏以外への海外旅行は初めてである。中国語もできないのに初めての台湾旅行でいきなり台北を通過して東側の小さな島、緑島に行こうというのだ。台湾専門の日本の旅行会社に航空券などの手配を頼んだのだが、台東から先は宿も飛行機も予約できなかった。緑島への飛行機はたくさん便数があるし、そんな離島はどうせガラガラだろうから大丈夫、と言われたことを信じる。台東行き遠東航空079便は、よく揺れた。台東空港は山が迫る狭い平野にあり海から進入する。小さな地方空港で出口に向かう通路の脇で手荷物を受け渡している。
 16時発の緑島行きの飛行機があるはずなのだが、どういうわけか、遠東航空は最終便がキャンセルでもうフライトが無いという。立榮航空もフライトがキャンセルだという。あとでわかったのだが、立榮航空は4月1日から5月31日まで機体検査のため運行していなかった。本来一日6便飛んでいるのだから、これは大きい。日本語の通じる若い男性がわれわれの会話を聞いて國華航空のカウンターで聞いてくれたのだが、こちらも緑島行きの便は今日はもうないとのこと。
 今日中に緑島に行けないことだけははっきりしたので、ガイドブックを見て日本語が通じるという台東駅近くの金安旅社へ泊まることにした。タクシーの運転手は、途中でやにわにこちらを向いて観光地図を指し(前むいて運転してくれ!)、近くの知本温泉という観光地に行かないかなどと言い出したが、予定通り金安旅社へ連れていってもらう。
 宿で教えてもらった旅行社に行ったが、緑島行きの飛行機は満席で当分とれないという。どうしようかと思案していたら、近くの別の旅行社の窓ガラスに、緑島行きの船の切符の値段を書いた張り紙があるのが目に付いた。筆談と片言の英語で高速船で行けることがわかり、切符を買った。二人分往復1000元(3700円くらい)。
 ついでにガイドブックに載っている緑島のホテルを指して予約をお願いした。何軒か電話してくれたのだがどこもいっぱいらしい。民宿(発音は「みんぱお」と聞こえた)でもいいかと紙に書いて聞かれ、港近くの一軒の民宿をとってくれた。
 フェリーを降りると宿のご主人が名前を書いたプラカードを持っている、ということをわれわれに伝えるために、片言の英語と漢字の筆談だけでは足らずに、とうとう絵を描いて説明してくれた。まったく言葉の通じない日本人が飛び込んできてあれこれ頼んだのに一生懸命やってくれた緑島旅行社には感謝しかない。

旅行会社の人が書いてくれたイラストと翌日の朝食。宿の近くのお店で清粥10元とセルフサービスのおかずを何品か食べて二人で60元。

 翌朝宿からタクシーで富岡港へ。昨夜ホテルの近くの薬局で買った酔い止めがよく効いて、船はかなり揺れていたようだが、島までぐっすり眠って過ごす。
港には緑島旅行社で絵に描いてもらったとおり、宿のご主人が名前を書いた看板を持って迎えに来てくれていた。われわれの少し後に富岡港から出発した別の高速船もほぼ同時に着いたので、南寮港にはぎっしり人があふれていた。

我々の乗った船(上)と別の高速船(下)

 車に乗って南寮の村へ入る。すぐ後ろには山の斜面が迫り、海岸沿いに民家が並ぶ細長い村である。着いたのはレンタルバイク屋を兼ねた小さな宿、ここに2泊する予定だ。靴を脱いでスリッパに履き替えると、狭い中廊下の左右に部屋が並んでいて、学生風の若者があふれかえっている。どうやら緑島は、へんぴな離島ではなく、若者に人気の賑やかな島のようだ。
われわれが入った二人部屋は、3畳ほどの大きさで、どういうわけか台形。鏡がひとつあるだけで殺風景だが、蛍光灯が明るい。
 この日は宿のご主人が車で島を一周してくれ、ビジターセンターへ寄ったり、東海岸の小長城へ登ったり、海岸にある朝日温泉を見たり、1時間半くらいかけて案内してもらった。
 空港前のビジターセンターでは緑島のなりたちや名前の由来、島の生物の紹介などの展示があり、臺灣狐蝠(タイワンオオコウモリのこと)の模型があった。緑島の紹介ビデオは海の生物の映像が中心である。
 翌日は火焼山に登った。この島はもともと火焼島という名称だったが1949年に緑島に改名した。標高わずか281mであるが、標高0mから登るのだから、意外と登りでがある。空港近くから山に入る舗装道路があり、サツマイモや落花生、サトウキビが植わっている畑の間を通る。道路際にはイヌホオズキやクワズイモ、アカバナボロギクなど、沖縄の道ばたでよく見かける植物がある。木の枝の又になったところに、黒いボール状のアリの巣があった。風で道路に落ちて間もないと思われるものは、中でアリが右往左往している。
 登り口から4-5km行くと頂上なのだが、軍事施設で立入禁止になっている。入口にいた2頭の犬がわれわれの姿を見て吠えた。
 このあたりはなかなかいい常緑樹の尾根や谷が連なっている。観光客があふれる港周辺の喧噪が嘘のようだ。
 少し引き返したところから入る過山古道という石畳の遊歩道を行く。

過山古道入口

 朝日温泉方面に行く歩道で、車は通れない。ところどころ木に説明板がある。赤腹松鼠(クリハラリス)Callosciurus erythraeusが姿を見せた。やがて道が下りはじめたので引き返す。このまま下っていくと、港と反対側に出てしまい、海岸線に出てからの距離がありすぎる。歩道の入口まで戻り、階段に腰掛けて、南寮村のコンビニで仕入れたパンと缶入りジャスミンティーで軽い昼食にする。ジャスミンティーが甘くてびっくりした。

道の所々に車に轢かれたのかカエルの死体が落ちていて、ジャコウネズミSuncus murinusがその死体を食べていた。写真を撮ろうとしたら、脇の草むらに走って入ってしまった

 空港の先の集落まで歩いていく。食堂が何軒かあるが、昼食には遅い時間なので2軒しか開いていない。一軒の入口で立ち止まったら、中にいた人たちが入れ入れと手招きしている。幸いにしてメニューがあって指さし注文ができる。饂飩麺40元というのは肉そぼろ入りのワンタン麺。海産麺60元というのは小エビが二匹、魚の切り身とつけ揚げを切ったものとアサリが二つ入っていて白いスープだ。
 食事を終えて店を出るときに一人のおじさんが「歓迎緑島」と書いて見せてくれた。会話はまったくできないが、漢字で少しは意思疎通ができるので便利だ。今回の旅では、フィールドノートとは別に、メモ用紙とペンを胸ポケットに入れていたのが役に立った。

緑島での食事いろいろ

 海辺まで行くと、チュウシャクシギNumenius phaeopusやアオサギArdea cinereaがいた。空港の滑走路ではメダイチドリCharadrius mongolusとムナグロPluvialis fulvaとツバメチドリGlareola maldivarumが歩き回っていた。コンビニで買った木瓜牛乳は小さい頃好きだったフルーツ牛乳に似ていた。

空港と飛行機 こんな飛行機で緑島入りするはずだった

著者プロフィール

大沢啓子(おおさわ・けいこ)・大沢夕志(おおさわ・ゆうし)

1988年に南大東島でオオコウモリに出会って以来、コウモリに惹きつけられ、世界を巡って観察している。講演会や観察会、企画展示、書籍など、コウモリの魅力をたくさんの人に伝える活動をしている。動物園にやってくる野生のコウモリの観察会をすることもある。コウモリの会評議員、日本自然科学写真協会理事(夕志)。主な著書『身近で観察するコウモリの世界』『コウモリの謎』(誠文堂新光社)、『オオコウモリの飛ぶ島』『ふたりのロタ島動物記』(山と渓谷社)、『南大東島自然ガイドブック』(ボーダーインク)など。

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