『コウモリ 進化・生態・行動』(1996年 オルトリンガム著、和訳は1998年 八坂書房)というコウモリの教科書的な本に、ニュージーランドの固有哺乳類であるツギホコウモリMystacina tuberculataが出てくる。このコウモリは、同じく固有種のツチトリモチ科の寄生植物Dactylanthus tayloriiの花粉媒介をしていて、オオコウモリ科とヘラコウモリ科以外で植物を食べる唯一の種であるという説明がされている。そして、地面に張り付くように咲くこの花と、地面を移動するコウモリのイラストがずっと目に焼き付いていた。いつかこの地上を走るのが得意で、奇妙な寄生植物の花粉媒介をするという不思議なコウモリを見てみたいものだと思っていた。

左から『コウモリ 進化・生態・行動』の第2版、初版、和訳
2006年、その絶好の機会がおとずれた。オーストラリアとその周辺地域のコウモリ保護などを行う団体Australasian Bat Society(ABS)が二年に一度開いている大会が、2006年4月にニュージーランドのオークランド大学で行われるという。そして大会終了後のフィールドトリップではなんとこのツギホコウモリを見に行くというのだ。
ちょうどこの年の3月、私たちは22年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、フリーとして活動をはじめていた。そして6月から1年間オーストラリア大陸を回る予定なので、その下準備を兼ねてオーストラリアに寄ってからニュージーランドに行くことにした。
オーストラリアもそうだが、ニュージーランドも入国の時、食べ物を持ち込んでいないか、農場に行った靴で入国していないか、直近に森林や田園地帯でハイキングをしていないかなど、けっこう厳しい入国時の検疫がある。到着ロビーでは検査犬が観光客の手荷物のおやつを摘発して回っている。実際に入国して自然観察をすると、「こんな移入種だらけなのに、今更何を・・」という気もしなくはないが、これ以上の移入と、農作物や畜産物への病気や寄生虫などの持ち込みを防ごうという姿勢は理解できるし、同じ島国として見習わなければいけない。
4月19日から3日間開催されたABSの大会は参加者100人ほどで、口頭発表とポスター発表があり、分類、形態、生態、行動などの学術的なものから、オオコウモリと飛行機の衝突や洞窟の管理など保護に関するもの、Bat conversation International(BCI)のコウモリ観察ツアーに参加した体験記まで、さまざまであった。われわれにとっては、ニューカレドニアからオオコウモリのコロニーについてポスター発表に来ていた人に会え、長年の懸案だったニューカレドニアで撮ったオオコウモリの写真の確認をしてもらえたのがいちばんの収穫だった。

ポスター発表の様子
大会終了後、北島中央部にあるプレオラ森林公園Pureora Forest Parkに行き3泊4日にわたってコウモリ調査、そこで念願のツギホコウモリを見ることができた。

ニュージーランド全図
4月22日オークランドを朝9時過ぎにバスで出発して、プレオラ森林公園までは約5時間、15時少し前に着いて遅い昼食をとった後、先発隊はあらかじめ見つけてあったツギホコウモリのねぐらの樹洞前にハープトラップ(コウモリを捕獲する道具で、テグスが縦にたくさん張ってあり、ぶつかって落ちたコウモリが下の袋に入り回収できる)を設置しに行く。

翌日洞窟調査でハープトラップを吊しているところ
われわれはそちらには行かず裏の林を散策しニュージーランドヒタキPetroica macrocephalaやエリマキミツスイProsthemadera novaeseelandiaeなどの小鳥を観察する。この林でも2つハープトラップを設置する。
17時頃キッシュとパスタサラダの夕食が配達されてきて、さっき昼食を食べたばかりだなあと思いながら食べ、18時にはバスに乗って先発隊がいるツギホコウモリのねぐらの場所へ向けて出発する。車で20分、さらに歩いて20分と聞いていたが、途中で一台の車がパンクして予定外の時間がかかった。そのため、到着すると樹洞の高さまでつり上げられていたハープトラップは既に下におろされていて、たくさんのツギホコウモリがトラップ下部の採集袋の中で走り回っていた。さすが地上を走って採餌するだけあって、その動きはすばやい。手際よく測定して毛を刈ってマーキングし、一部は発信器をつけている様子を見学する。フィールドトリップの参加者は男女半々くらいだったが、作業しているのは圧倒的に女性が多かったのが印象的だった。
ツギホコウモリは、地上を歩くので予想以上に脚ががっちりしていた。林床を歩くときには翼の途中にある「手首」の部分を前脚のように使う。地上歩行に適したコウモリだが、もちろん空も飛べ、空中で昆虫などの餌もとる雑食性だ。空を飛べない鳥はいるが、空を飛べないコウモリはいない。

ツギホコウモリの顔と手首部分

ツギホコウモリの脚
フィールドトリップ二日目は2グループに分かれて行動、コウモリ媒花のツチトリモチの仲間を見に行く森林散策に参加した。この花は昼も夜も咲きっぱなしで一ヶ月咲くとのことだったが、あいにく2月から3月が花のピークだそうで、少しくたびれた花と種が見られた。

ツチトリモチ
森林の中に樹冠観察用の塔があり、ここからは樹冠の様子だけでなくニュージーランドバトHemiphaga novaeseelandiaeなども見られた。
その後も、ニュージーランドにいるもう1種類のコウモリ、ミゾクチコウモリChalinolobus tuberculatusも捕獲して観察でき、フィールドトリップは終了した。

ミゾクチコウモリのねぐらにあった看板
現在、ニュージーランドには2種のコウモリしかいない。かつてはもう1種類、オオツギホコウモリMystacinida robustaがいたが、こちらは1967年を最後に確かな目撃がなく絶滅した可能性が高い。ツギホコウモリ科Mystacinidaeの祖先はアフリカか南アメリカにいた可能性が高く南極大陸を経てオーストラリアへ、そしてニュージーランドに進出したのではないかといわれている。オーストラリアにも1200万年前に絶滅したツギホコウモリの仲間がいて、2500万年前から4500万年前のどこかで西風の助けを得て1600kmのタスマニア海を横切ってオーストラリアからニュージーランドに祖先がやってきた。これは珍しいことではなく、ミゾクチコウモリも起源はオーストラリアであるし、鳥の多くも同じだ。そしてニュージーランドでは競争者も捕食者もいない中で、森の生活に会わせて特異的な食性と形態的な適応を進化させたのだ。
そんな鳥たちもいろいろ見たいので、フィールドトリップ終了後も北島に残り、野鳥観察を中心に自然観察をすることにした。

フィールドトリップに参加したメンバーが集合