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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

企画展示「サムライと釣りーその技と美」によせて そのⅡ―絶滅した釣り文化

2011.11.7

深川の漁家の天井には長い脚立の束が掛かっていた。アオギスの脚立づりの名残である。老漁師は東京湾のどこかに生き残っているはずだと信じていた。

アオギス

天ぷらだねにするシロギスは30㎝どまりなのに、アオギスは50㎝になる。体形はシロギスそっくりであるが背鰭に斑点があり、胸鰭、尻鰭が黄色いのでシロギスと区別できる。

昭和37年(1962)の「水の趣味」という釣り雑誌を見ると、千葉の五井、大貫海岸で盛んに釣れているという記事があった。写真には干潟に立てた高い脚立の上で釣り人が竿を絞られている。この脚立釣りは江戸時代からあったもので、音に敏感なアオギスを釣るために、釣り人が編み出した釣法である。広大な干潟に転々と立てた脚立に船頭が順次釣り人を置いてゆき、一渡りすると遠くからきせるをくゆらせながら釣れ具合を眺めている。その時の目印が脚立から降りている長い網びくである。しばらく網が降りないと船頭は、釣り人を別の脚立に移す。

中川船番所博物館所蔵 アオギス釣り用脚立とびく

アオギスがいつ頃東京湾から姿を消したのはか定かではないが、昭和四十年代の公害時代の水質悪化や埋め立てによって急速に釣り場が狭められた。アオギスは東京湾だけでなく、日本列島から姿を消した。清澄な川と、さらさらした干潟があるところに産卵する習性が命取りになった。土木工事によって内湾の干潟に泥が混ざるとすぐに姿を消すという。かつては伊勢湾、紀ノ川河口にもいたというが絶滅した。近年まで採集記録があるのは四国の吉野川河口、大分県の守江湾、鹿児島県の一部だけである。キスについて造詣の深い千葉市中央博物館の望月博士によると、この地方でも最近とれたという話を聞かないという。

アオギスは江戸時代から続いた釣り文化を道連れにして絶滅してしまった。

もう一つの例は小物釣りの筆頭、タナゴ釣りである。タナゴ類は熱帯起源のコイ科にはめずらしく低温でも活発である。冬、食味も良いため、冬の釣りであった。

江戸時代から関東地方ではタナゴ釣り文化があった。短竿をわざわざ小継ぎにし、水箱、小道具類もみな小さく大いに凝った。餌は、練り餌も使ったが、本来はイラガの幼虫の中身を鋏で切り取りつつ小さなはりにからめた。

同上 タナゴ釣り用竿(10本継)

タナゴ類は水田の小川や池沼など何処にもいた雑魚であったが、カラスガイ、ドブガイなど淡水二枚貝に産卵する習性が裏目に出た。タナゴは二枚貝のエラに卵を産み付けるかわりに貝のグロキデイウム幼生を鰭につけて運び、貝の分散を助ける。二枚貝が絶滅し、タナゴ類は産卵場所を失った。

環境省がメダカを絶滅危惧種にランキングし、「メダカの学校」廃校の危機などとメデイアがとりあげたが、人知れず絶滅していく生物がいかに多いことか。原因は環境が病んでいることにある。文化を道連れにしていることに警鐘を鳴らしたい。

 

 

 

※ この文章は2004年10月12日に安部館長が書かれたもので、テキストならびに館の外観などは当時のまま掲載しています

著者プロフィール

安部義孝(あべ・よしたか)

1940年東京都生まれ
東京水産大学増殖学科魚類学教室卒業後、東京都恩賜上野動物園水族館勤務
1968-69年、クウェート科学研究所所員となる
帰国後、東京都多摩動物園昆虫園勤務を経て、東京都葛西臨海水族園長、東京都恩賜上野動物園長を歴任
2000年より(財)ふくしま海洋科学館・アクアマリンふくしま海洋科学館・アクアマリンふくしま館長
主な著書に「クウェートの魚」など

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