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Vol.5『フェネックの偽妊娠』

2012.3.7

 

今回のキーワードは「偽妊娠」。
偽妊娠は,繁殖学の用語で,英語でpseudopregnancyといいます。pregnancyは「妊娠」という意味で,pseudoは「見せ掛けの」とか「偽りの」という意味です。その言葉の通り,妊娠していないにも関わらず,妊娠しているかのような外見変化や生理変化が現れることを,偽妊娠といいます。

「想像妊娠」という言葉は耳にしたことがあると思います。これは人に対して一般に使われている言葉で,国語辞典(goo辞書)を引くと,「実際には妊娠していないのに,妊娠していると思い込み,月経停止・つわりや乳房が膨らむなどの徴候を示すもの。妊娠していないことがわかると徴候は消失する。」とあります。主に,思い込みによる現象だと考えられています。しかし,動物の偽妊娠は,少し違います。動物種によっては,偽妊娠は繁殖戦略のひとつであるとも考えられ,生理的に普通に起こる現象です。

生理学的には「妊娠せずに卵巣に黄体が存続している状態」を偽妊娠といいます。黄体とは,排卵後に卵巣内に形成される組織で,妊娠の成立と維持のために重要な役割をもつ「プロジェステロン」というホルモンを分泌する場所です。プロジェステロンというホルモンは,これまでのコラムでもたびたび登場しています。そして,プロジェステロン濃度の変化から妊娠診断を行うことについては,キリン(コラムVol.1)やチーター(コラムVol.3)のところでご紹介しました。偽妊娠のときにも,このホルモンが持続的に分泌され,これはイヌ科やクマ科,イタチ科,ネコ科などの食肉目の動物などでみられます。

最もよく知られているのが,飼い犬(もちろんメス)です。犬の偽妊娠は,プロジェステロンの分泌パターンが妊娠の場合とほぼ同じで,このホルモンからは妊娠診断ができません(通常はエコーで調べますが)。チーターなどのネコ科の動物では,偽妊娠期間が妊娠期間よりもやや短い,すなわちプロジェステロン分泌期間が異なる(偽妊娠期は妊娠期の半分から3分の2くらい)ので,その違いに注目して,妊娠の判定を行います。

偽妊娠の犬では,外見的な変化も妊娠時と似ていて,妊娠犬と変わらない乳腺・乳房の発達や乳汁の分泌がみられることもあります。猫ではこのような変化は一般にはみられないようです。

偽妊娠の生理学的・生態学的意味はまだよくわかっていません。イヌ科のような社会性のある種では,その群れの繁殖メスが妊娠するのと同調して偽妊娠が起こり,繁殖メスのヘルパー役として,偽妊娠個体も群れ内の子どもに授乳を行っているのではないか,と考えられています。このような家族集団では,他人の子どもを育てることも,長い目でみれば群れを存続させ,自らの家族の遺伝子を残していくことに有利に働いていると考えられます。このような生活形態を取らないほとんどのネコ科動物などは,偽妊娠にまた別の何か意味があるのかもしれません。

偽妊娠の一般的な話はこのくらいにして,フェネックの繁殖生理と偽妊娠について紹介します。
フェネックは,イヌ科の動物で,キツネのグループです。北アフリカやアラビア半島に生息しています。フェネックは,飼育下では明確な繁殖の季節性をもたない動物のようで,排卵様式は犬と同じく自然排卵型(ネコ科は基本的に交尾排卵型:コラムVol.4参照)です。フェネックの発情・排卵に,はっきりと決まった周期性はありません。妊娠出産がなければ(妊娠出産しても親が育仔をしなければ),年に2~3回,多ければ4回の排卵が起こります。フェネックは,犬と同じような偽妊娠現象があることも分かってきました。偽妊娠期の後半には,乳頭周辺の脱毛や,乳汁分泌がみられる個体もいるようです。これらのことは,糞を使ったホルモン分泌パターンの調査と行動・外見などの観察結果を比べることで明らかになってきました。フェネックの繁殖生理のパターンは,犬にだいたい似ているようです。

偽妊娠個体の腹部(乳頭周辺)の脱毛の変化
偽妊娠期後半,日数の経過と共に乳頭がはっきり見えるまで脱毛し,また毛が生え揃ってきた様子です。

フェネックの繁殖生理は,犬に似ているものの,飼育下での繁殖はなかなか難しいようです。配偶者選択が厳しいことや,また元々神経質な性質の個体が多いことも関係しているのかもしれません(耳が大きいので,余計な雑音がたくさん聞こえてくる??)。そして,繁殖生理について,犬と大きく違う点は,発情期の長さが明らかに短いことです。メス犬の発情期(交尾を許容する時期)は平均10日間であるのに対し,フェネックは1日か,長くても数日間しかありません。ただ,発情期やその前後の時期には,メスの陰部(陰唇)にはっきりとした腫脹変化がみられますし,個体によっては性格が激変するそうで,発情期が近いことや,今がだいたいその頃だろうということを判断するのはそれほど難しくありません。しかし,どうやらフェネックの繁殖はオスにも秘密がありそうです。オスには,オス自身の生理サイクルがあり,メスに発情がくれば,オスはいつでもOKという個体ばかりではなさそうです。

フェネックの交尾は,コイタルロックという仕組みによって結合状態が平均1時間58分(最長2時間45分)も継続するという報告があります(犬は一般に10~45分くらい)。コイタルロックがかからない場合もあり,ロックの有無や交尾時間と繁殖の成否は,必ずしも関係はないようです。妊娠期間は通常50~52日間で,1~4頭を出産します。6頭という記録もあります。

今回のフェネックの研究は,Vol.1~Vol.4とは違って動物園での研究ではありません。研究材料は,排泄された糞なのですが,その採取が難しかったためです。動物園には,本来の生態に近い状態で飼育することが求められます。家族集団で生活するフェネックは,動物園では通常複数頭で飼育されることが多く,糞を個体識別して採取することが難しいのです。
そこで・・・ フェネックは一部ペットとしても飼育されている動物であるため,今回は複数の一般飼育者の協力を得たり,実際に飼育したりして研究を行いました。どの糞が誰の糞か分からないなんてことはありませんし,犬と同様にフィラリア検査や健康診断のために,動物病院での採血の機会がごく稀にあり,血液サンプルを活用することもできました。

動物園の動物は,同じフェネックであっても当然ペットではなく野生動物です。それを混同してはいけません。今回は,一般飼育者の方々に協力していただいて研究を行い,多くの貴重なデータが得られました。これは将来的に動物園での繁殖にきっと生かせるときがくるでしょう。

フェネックの輸入状況(農林水産省動物検疫所調査課提供データを基に作成)

さいごに・・・
このグラフは,ここ10年間のフェネックの正規の輸入状況の変化を示したものです。2000年代前半には,かなりの数のフェネックが毎年アメリカ(2005年のみカナダ)から輸入されていました。主には,アメリカのブリーダーが繁殖させた個体がペットとして流通していたようです。近年はペットショップで姿をみることはほとんどなくなりました。これは,狂犬病予防法に基づく「犬等の輸出入検疫制度」が2004年に改正され,フェネックを含むキツネ類も輸入規制が強化され,現実的に輸入が困難になったためです。フェネックの寿命が10年前後であることを考えると,数年後には,当時の輸入世代のフェネックたちは日本から消滅します。そして,繁殖が難しい動物であることを考えると,近い将来,動物園にいるフェネックも,一般飼育者が繁殖させているフェネックも,いずれ一部の繁殖ペアから生まれた血縁の近いフェネックばかりになってしまうかもしれません。

フェネックに限ったことではありませんが,動物園で繁殖(特に,希少種の繁殖)を進めていく上で,繁殖研究によって解決できることは些細なことです。様々なアプローチと綿密な繁殖計画,ときには挑戦的な取り組みも含めて,動物園は「繁殖」という大きな課題に立ち向かい続けています。私たちは,私たちにできる研究で,それに少しでも貢献できればと思います。

著者プロフィール

楠田 哲士(くすだ さとし)

1978年 兵庫県神戸市生まれ
岐阜大学応用生物科学部・准教授。専門は、動物園動物の繁殖生理学。
日本大学生物資源科学部動物資源科学科卒業、岐阜大学大学院修了。博士(農学)。
東京都臨時職員(多摩動物公園)、日本学術振興会特別研究員などを経て、
2008年から現職。
日本動物園水族館協会生物多様性委員会・外部委員。

著書
『キリンEAZA飼育管理ガイドライン』(日本動物園水族館協会)、
『動物園動物管理学』(文永堂出版)、『動物園学入門』(朝倉書店)など

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