
今から9年ほど前、サンゴのモニタリング調査の手伝いで、県本土の各地を潜っていました。
あるポイントでの調査のことです。
そこは、以前はミドリイシ類の群生があり県本土でも有数の素晴らしいポイントだったそうですが、かの悪名高いオニヒトデの大襲撃を受け、壊滅的な被害を受けました。
私が調査に訪れる頃にはすでに生きたミドリイシの姿は無く、海底には凄まじい量の死んだサンゴの骨が堆積していました。まさにサンゴの墓場。

そして、オニヒトデはというと、数を減らしながらも、細々と生き残ったミドリイシ以外のサンゴを襲い、この海域からサンゴを根絶やしにしようと(?)していました。

その後、酢酸を用いたオニヒトデの駆除作業などにも参加させてもらいましたが、この海域のサンゴはまだ回復にはほど遠いのが現状です。
さて、私はそんなウミウシ以外の調査ダイブでも、やはりウミウシが気になってしまう、探してしまうのが常です。(仕事はちゃんとしていますよ!)
このときにはウミウシはほとんど見つかりませんでしたが、あるオオスリバチサンゴに卵塊と捕食痕を認めました。そしてそこに付着していたのが、冒頭写真のミノウミウシです。
このミノウミウシ、特徴からしてイボヤギミノウミウシ属であることは濃厚と思われたのですが、オオスリバチサンゴを捕食する種を、その時の私は知りませんでした。
イボヤギミノウミウシ属はイシサンゴ類を餌にするグループで、他にもシコロサンゴやハマサンゴをホストとする種などが知られています。
この種は未記載種なのかなと思いながらも、特徴的にはイボヤギミノウミウシに酷似しています。卵塊の形状も全く同じです(卵塊の形状は属レベルで共通することも多々あります)。ただ体色だけが違うのです。しかし私が調べる限り日本はもちろん海外の図鑑にも、このような種は載っていませんでした。

白い扇形のリボンが卵塊。左が(青被りしてますが)ベージュタイプ。右は黒タイプ。
右の写真を見ると、捕食されて骨だけになったキサンゴの骨格に卵塊がよく似ています。もしかすると擬態効果も狙っているのかもしれません。
結局、そのときには種同定には至らず、最近までずっとイボヤギミノウミウシ属の一種として保留にしていました。
ところが近年イボヤギミノウミウシにはオオスリバチサンゴを食べてベージュ色になるタイプがあるという論文が出ていたことに気づきました。(Yiu et al.,2021)
これでようやく確信し、9年来のもやもや記録は正式に?イボヤギミノウミウシへ移行されました。
イボヤギミノウミウシはその名の通り、イボヤギなどホストとし、その共肉を食べています。食べるのはキサンゴ科のサンゴで、ほかにもナンヨウイボヤギやジュウジキサンゴなどかなり幅広く食べていることが、フィールド観察からわかります。
キサンゴ科には褐虫藻を持つもの(有藻性)と、もたないもの(非有藻性)があり、オオスリバチサンゴやスリバチサンゴは前者、イボヤギやナンヨウイボヤギは後者です。これまで、イボヤギミノウミウシは非有藻性のキサンゴを専食するものと思っていましたが、上記の報告によって有藻性種も食べられることがわかりました。
同属他種が有藻性サンゴを食べるので、考えてみれば何ら不思議はありません。
また、以前紹介したように、イボヤギミノウミウシは餌によって大きく体色が変化してしまいます。黄色系のキサンゴなら体色は黄色に、黒緑色のキサンゴなら体色は黒になります。黄色のタイプに黒のキサンゴを与えると少しずつ黒くなっていきますし、逆も然りです。私も飼育下における餌種の移行実験によって体色の変化を確認しています。
しかし、黒タイプにオオスリバチサンゴを食べさせても1か月程度では完全にベージュタイプにはなり切らなかったようで、完全なベージュタイプはおそらく幼生が着底した時からずっとオオスリバチサンゴを食べ続けてきたのだろうと思います。
実際、イボヤギなどの非有藻性キサンゴ類はやや深い場所に生息するのに対し、オオスリバチサンゴはごく浅い場所に生息するため、イボヤギをホストにしていたイボヤギミノウミウシが歩いてオオスリバチサンゴへ移動したとはなかなか考えられません。
加えてオオスリバチサンゴは数mにもなる超巨大群体を作り出すサンゴですから、一度着底したイボヤギミノウミウシがこれを食べ尽くす心配も(サンゴが未熟でごく小さな群体でない限り)ありません。
有藻性と非有藻性をどのように識別しているのか、選ぶ基準があるのかは不明です。そもそも識別しているかどうかもわかりませんが、古くからこの種は幼生の飼育研究にも使われてきたようですので、こういったアプローチからの研究もできるかもしれません。
ということで、これまで海で観察してきたイボヤギミノウミウシの多くは橙黄色~黒色でしたが、今後はここにベージュを加えることになります。

色彩が微妙に異なるイボヤギミノウミウシたちの例
一方で、オオスリバチサンゴを食べるのであれば、別の疑問も浮かんできます。
同じ有藻性キサンゴ類であるスリバチサンゴは?ウネリスリバチサンゴは?ヨコミゾスリバチサンゴは?食べるの?ということになってきます。
これについてはまだ観察例も実験例もありませんが、今後わかってくるかもしれません。
さて、近年、長崎県五島列島沖では世界最大と言われる直径16mのオオスリバチサンゴが発見されています。驚きですよね。一度見てみたいものです。有藻性サンゴ(に共生する褐虫藻)は二酸化炭素をとりこみ海中に酸素を供給する生産者の役割を持つため環境問題と絡めて重要視されます。そんなサンゴを食べてしまうイボヤギミノウミウシ、下手すると毛嫌いされてしまうのでしょうか。
サンゴ調査をしている方々は目の肥えたダイバーが多いので食害があれば気づくはずですが、私が知る限り日本では被害例を聞いたことはありません。そもそもベージュタイプ自体発見例が少ないと思われますが、イボヤギミノウミウシも個体数の多い生き物ではありません。オニヒトデやレイシガイ類などのようにわかりやすくサンゴを食害している生物に比べれば、少しくらい食害されても問題ないだろうとは思います。ただ、食害による傷口からの病原菌の感染などが起こる可能性があり、サンゴにもいくつかの病気が知られるようになってきています。
こうした点を拡大解釈すると食害する生物は全て悪者になってしまうかもしれません。
しかしよく言われているようにオニヒトデも生態系の一員であり、適正な数なら問題はないのです。むしろ樹勢の強いミドリイシ類を抑制し、他のサンゴの生存を助ける働きを持つとも言われます。しかし何か条件が変わって大発生してしまうと途端に悪者扱いされてしまいます。イボヤギミノウミウシだって条件が良ければ大発生する可能性はあるはずです。
摂食量はそれなりに多いので大発生すれば嫌われてしまうかもしれません。ただしオニヒトデと違ってイボヤギミノウミウシは大変脆弱な生きものです。飼育するのも一苦労。気を抜くとあっという間に死んでしまいます。
オニヒトデの大量発生の一因は人間活動による海水の富栄養化だという説があります。これが本当なら、人間活動で殖えてしまった生き物を駆除するというのはあまりにも身勝手に思えます。まるでもぐらたたき。叩いても叩いてもどこかでモグラは顔を出します。モグラが殖えないように適正な環境条件に戻すことが必要な努力と言えます。
まぁそうそう単純にはいかない世の中ですが、他の生物への影響は最小限に配慮できる世であってほしいですよね。イボヤギミノウミウシ属の種も駆除対象にならないよう祈るばかりです。