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Vol.14 動物園ってなに? Part VI ~動物園の芯(core)2~

2013.10.3

欧米先進国で出版された動物園関連の専門書や論文を翻訳している際、いつも感じるのは、彼我の博物学的もしくは動物学的な厚みの差です。もちろん欧米先進国の動物園とはいえ、多くの学術面での問題や悩みを抱えているに違いありません。しかし、その悩みのレベルが違うのです。卑近な例を挙げると、日本の動物園で餌の栄養分析の必要性がようやく論議の俎上に乗り始めた時に、彼の地ではクマ科動物にタウリンが必要か否か、もし必要だとしたらその要求量が種別でどのくらい違うのか、が議論されているといった具合です。

前回の記事(Vol. 13)でも示したように、明治維新後の一部関係者の間では、文化の導入と醸成も当然意図されていたと思われます。その辺りのことはNHK大河ドラマ「八重の桜」でも描かれていました。しかし、発展途上にあった国家施策の中では、分野によってその試みを埋没させざるを得なかったようです。その結果、学び(スタディー)が単なる表面上の真似び(イミテーション)に終始したと考えられます。そして、日本の風土に合致した博物学的基盤を構築できなかった影響が、現在もなお多くの社会教育施設に及んでいます。たとえば、国立科学博物館の所蔵標本数(種毎の点数も海外と比べ極端に少ない)がその好例でしょう。動物園に話を戻せば、「芯」のない所に、海外で評判の高い展示施設の外観だけを導入し続けていることではないでしょうか。

最近、朝日新聞日曜版グローブ紙(2013年7月28日付)にデザイナーの和田 智氏が述べていたことですが、外車企業の同僚から好評を得た彼の作品に対して、ドイツ人の社長が一言「新しくてかっこいいが、君のデザインは軽いんだ。」と批評したそうです。衝撃を受けた和田さんは、その後、毎日のように自動車博物館へ通い、初期から現在までの車を観察して、そこに存在する時間の重みを感じました。そして、「過去から積み上げたデザインに新しい解釈を吹き込むようにしない限り、歴史のある街では浮いてしまう。」という結論に至るのです。

動物園にも時間(歴史)の重みが必要であると思っています。動物園における歴史の重みとは、人材および技術の育成や継承によって成り立つものです。しかし、経済効率が強く求められる現況では、安易に管理運営が外部委託されてしまい、高い専門性が求められる飼育技術の教育や継承は中途半端に終わり、保全や研究は個々の職員が片手間で行わざるを得ないため、さして大きな成果が得られずにいます。基盤となる「芯」が形成される機会がないため、大きくは成長できないのです。

"Zoo" の名が付いた最近の洋書を本棚から集めた。欧米先進国の生物学や動物学の層の厚さを感じさせる。

広い意味で、動物園は博物学や動物学などを含む教養を社会の文化とする役割を担っています。反対から言えば、動物園を支える(栄養となる)文化的基盤がなければ、将来的にも動物園の成長は望めませんし、その存在さえも保証されません。括弧付きの動物園は存在し得たとしてもです。
明解国語辞典第4版第1刷に記されていた如く(Vol. 12参照)種保存の努力も行わずに希少な野生動物に対して「狭い空間での生活を余儀なくし飼い殺しにする」ような、保全教育(Conservation Education)に取り組むことなく動物園の質を低下させるような、高村光太郎が「ぼろぼろの駝鳥」で表現した動物福祉などに一切配慮せぬような、博物館相当施設として調査研究が求められているにも関わらず「動物園は研究の場ではない!」「研究したければ他所へ行け!」と吠えるトップがいるような、動物園の将来的発展に必要な飼育技術や人材の育成よりも目先の利益を優先させるような、そんな単なる遊興施設的な動物園なら、「消えていいのか?」と問われても「いいんじゃないの」と冷たく答えるしかありません。そこには、動物園が動物学園(Zoological Garden)であるための役割や意義や理念が存在しないからです。

動物園の成立基盤や将来的な成長の可能性に対して思い悩み、解決への道を模索し努力しない限り、経済性が優先される軽佻浮薄な時代の風潮に合わせて、本来は社会教育や種保全や調査研究の場であるべき動物園でも、スクラップ&ビルドが繰り返されてしまう(もしくはスクラップ化されてしまう)でしょう。「芯」がない木がすぐに根腐れを起こして倒れてしまうように…。

たしかに「消えていいのか?」「なくなってよいのか?」と、かなり切羽詰まった言葉で表現されるに相応しい動物園の現況ではあります。しかし、動物園だけが理想から乖離して苦境にあるわけではありません。どのような社会的施設であれ多くの問題や矛盾を抱えています。大切なのは、それらの問題に押しつ潰されてしまうのではなく、将来に向けた明確なビジョンを動物園の中に形成して戦略を立て、あらゆる逆境に抵抗してゆく意志と情熱を維持し続けることだと考えます。
動物園に水分や栄養分を与え、しっかりとした「芯」を形成させるための組織的努力、同時に個人努力(それが効力を及ぼす範囲は想像以上に広いはずです)も怠ることなく続けていれば、近い将来きっと変革(Revolution)の時は訪れるはずです。いや、その弛まぬ努力こそが動物園の進化(Zoo Evolution)を保証するのでしょう。

著者プロフィール

村田浩一(むらた・こういち)

1952年神戸市生まれ。
1978年から2001年まで、神戸市立王子動物園で獣医師として働く。
2001年、日本大学生物資源科学部へ転職し、2011年からは、よこはま動物園ズーラシア園長を兼務。日本野生動物医学会会長(現顧問)、IUCN/Wildlife Health Specialist Group東アジア地区委員長。専門は野生動物医学、動物園学。楽しく学べる動物園を目指して、日々、動物園内で主に楽しんでいる。趣味は、自然の中で静かに佇むこと。

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