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Vol.2 シジュウカラガン放鳥苦労話し

2015.6.23

 仙台市八木山動物公園は、今年開園50周年を迎えます。この50周年を祝福するかのように、昨年の12月末から今年1月初めにかけて、宮城県の大崎市にある化女沼に飛来したシジュウカラガンの数が1,000羽を超えました。1995年からシジュウカラガンを千島列島のエカルマ島で放鳥を始めてから、ほぼ毎年、2010年まで合計13回おこない、私はそのうちの11回に関わりました。

 放鳥では、いろんな苦労がありました。放鳥するシジュウカラガンは、カムチャッカのロシア科学アカデミーの繁殖施設で増えた鳥を放すのですが、むこうは、鳥を繁殖するのはもちろん、飼育するのも初めてだったので、思うように増やすことができなくて、放鳥を始めた当初は、十何羽しか放せないような状態でした。それに、放した数がそのまま日本に来るかというと、そうではありませんでした。全く渡って来ない年も何回かありました。

 

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 また、2000年の放鳥でロシアに行った時は1週間近くエカルマ島に置き去りにされたことがあります。繁殖施設があるカムチャッカからヘリコプターでエカルマ島へ向かい、日本そしてロシアのスタッフと放鳥するシジュウカラガンを降ろすと、ヘリコプターは一度カムチャッカに戻っていました。今思うと、なぜヘリが一緒に留まっていなかったのか疑問ですが、それまでのやりかたで何も問題が起きなかったので、ヘリを見送ることを私たちも違和感なくおこなっていました。そして、後でまたヘリが迎えに来るという手はずでした。いつもどおり、そんな感じで、放鳥して満足してテントに入って寝ました。・・・・そしたら。翌朝起きてみると、台風のような天気。「これではヘリは飛べないから明日まで待つか。」という状況が2、3日続いて、結局そのまま1週間・・・!食料は尽きてくる、日本への通信手段はない、寒い無人島でテント泊。一緒に連れて行った若い職員は一日中岸壁に立って、じーと海を見ているんです。迎えのヘリが来るのを待って。この時は、さすがに不安になりました。私ももちろんしんどかったですが、特に若い職員は「もう二度と行きたくない。」と。それほど過酷な経験でした。でも、この年の冬から、放した鳥たちがたくさん渡ってくるようになったんです。今思うと、この経験は、自然界から与えられた試練だったように思いますし、大変な思いをしたときほど鳥は渡って来てくれるのでしょうか・・・・。

 これからは、この1,000羽を超えた群れが渡ってきやすいように環境を良くすると共に、シジュウカラガンを知らなかった人たち、特に子どもたちにシジュウカラガンの保護の必要性を伝えていくことが大事だと思います。将来、子どもたちが大きくなる頃には、シジュウカラガンが1万羽くらいまで増えていると思います。その時に「この鳥は絶滅しそうな鳥だったんだ。大事にしなきゃいけないな。」と思ってもらえるように、シジュウカラガンのことを伝えていくのが今後の私たちの役目だと思います。

 日本の動物園が、単独で海外と事業をおこなって成果を残すというのは、中々ないことだと思います。動物園が域外保全活動をしていると堂々と言えるのは、域内保全に貢献して初めて言えることだと思います。

 一度失われた生態系を元に戻そうとしても、そう簡単にはいきません。苦労があって成果が出ているんだなと、この事業でしみじみ感じさせられました。

著者プロフィール

阿部敏計(あべ・としかず)

1956年山形県生まれ。
小さい時からネズミや鳥を捕まえては自宅で飼っていました。
そして、近くに小さな児童動物園があり、母親の実家が仙台で、夏休みといえば八木山動物公園に行っていました。
そんな、そんなで動物園で働きたいと思うようになりました。
東北大学の農学部畜産学科の修士課程修了です。
シジュウカラガンの飼育係などから、係長、課長になり、現在は副園長です。

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