日本全国の動物園と水族館をつなぐ情報誌、「どうぶつのくに」「どうぶつえんとすいぞくかん」公式Webサイト

どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.5 シジュウカラガンの渡り復活へ立ち上がった

2015.12.5

シジュウカラガンの渡り復活(羽数回復)事業開始の背景は、
・シジュウカラガンの渡り復活へ一生を捧げた、『日本雁を保護する会』の前会長 故横田義雄氏の存在。
 この人は、仙台平野で1935年にはシジュウカラガンを数百羽確認していたのに、1970年頃になると、その姿がほとんど見られなくなってしまったのに気づきました。絶滅したともささやかれ、危機感を覚えた横田さんが、「またシジュウカラガンが宮城県に渡ってくるように、なんとかして数を増やせないだろうか」と声をあげました。

・当時の仙台市長の環境保全への理解(国家的事業を地方自治体が実施することを決断)。

 

・ガン類最大の飛来地の伊豆沼がある宮城県に、当時から鳥類飼育繁殖技術に卓越していた仙台市八木山動物公園があったこと。
 八木山動物公園は、1971年にはカナダガンの自然繁殖、1973年には人工繁殖に成功し、1980年にはマゼランガンの自然繁殖、1982年にはハワイガンの人工繁殖、1984年には自然繁殖に成功するなど、ガン類において、数々の繁殖賞を受賞していたのです。

これら三位一体となって、渡り復活(羽数回復)事業がスタートしたのです。

仙台市と歴史的にも文化的にも関係の深い鳥

・江戸時代、仙台で終日雁猟をすると、10羽のうち7、8羽はシジュウカラガンだった(「観文禽譜」より)ことから、18世紀の終わり頃には、仙台藩領内に多数飛来していた。
 観文禽譜:仙台藩主の八男に生まれ、佐野藩主となり、幕府の若年寄として老中・松平定を助けて寛政の改革を進めた堀田正敦(1755~1832)編の『観文禽譜』(12冊)は、江戸時代の量・質ともに優れた鳥類図鑑である。

・1935年頃まで、宮城県の多賀城市と仙台市宮城野区の福田町に数百羽の群れが越冬していた。
・その後渡来数が激減し、繁殖地放鳥事業開始以前までは、宮城県北部の伊豆沼周辺でマガンの群れの中に数羽が見られる程度となっていた。

 

1

 

ワンポイント ロシア語講座
  第三回
    知らない 「ニズナーユ」
    いらない 「ニェナーダ」

著者プロフィール

阿部敏計(あべ・としかず)

1956年山形県生まれ。
小さい時からネズミや鳥を捕まえては自宅で飼っていました。
そして、近くに小さな児童動物園があり、母親の実家が仙台で、夏休みといえば八木山動物公園に行っていました。
そんな、そんなで動物園で働きたいと思うようになりました。
東北大学の農学部畜産学科の修士課程修了です。
シジュウカラガンの飼育係などから、係長、課長になり、現在は副園長です。

カテゴリー

カテゴリー一覧

このカテゴリーの他の記事

ページTOPへ

Copyrights © 2010 Doubutu-no-kuni All Rights Reserved.
誌面、Webにおけるあらゆるコンテンツの無断複写・転載を禁じます。