日本全国の動物園と水族館をつなぐ情報誌、「どうぶつのくに」「どうぶつえんとすいぞくかん」公式Webサイト

どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.16 ヒメマス

2012.10.3

ひんやりとした秋めいた空気が漂う、北海道のある湖沼。
夕刻、薄闇にまぎれて産卵を控えたヒメマスの群れが集い始める。
本来、水深の深い場所を回遊する彼らは警戒心がとても強く、視覚の利く日中は水面へ映り込む全ての影に猜疑心を働かせ逃げ回る。

大気が鎮まっていく。

だんだんと濃さを増していく周囲の闇に耳を澄ませば、せせらぎに(ザワ、ザワ)とノイズが混じる。
背ビレが水を切る音だ。
水域がいきものの気配でひしめく。 上流へ向かう衝動がピークに達し、神経質な抑圧から解放される夜が始まると意を決したように異世界の川へと侵入する。
こうして流入河川や、その支流で産卵。
孵化した稚魚は湖沼へ移動しプランクトン等を食べ、3-4年生活の後20-40センチ程度に育って産卵河川へ遡上する。
産卵期は道内では9月から11月中旬と地域や標高によって幅があり、いずれの場所でも2週間程続く。

ざわめく水面。

学術上、ヒメマスの原産は阿寒湖とチミケップ湖だ。
しかし幕末の探検家、松浦武四郎の久摺日誌(くすりにっし、くすりは屈斜路の古い呼称。)には屈斜路湖にヒメマスが生息すると書かれている。
屈斜路湖と阿寒湖は流出する釧路川と阿寒川が合流し太平洋へ注いでいたが、大正6年に、土砂堆積や洪水対策として河川を分離し河道を変更した。
なので屈斜路湖にヒメマスが生息していたとしても不思議ではない。
ただし、1938年に地震で湖底から硫黄が噴出し水質が大きく変化、それ以後は原棲の生物は死滅したので当時の詳細は不明だ。

 

 

日本のサケ/マス類の多数に当てはまる事だが、過去に起きた氷河期に地球全体が寒冷化した時代、 北半球の上部から海を南下回遊してきたものが南北に細長い国土の川へ産卵遡上するようになり、定着。
その後、氷河期の終わりと共に海水温が上がり、冷涼な渓流や湖沼に稑封される結果になった。
水温や物理的な要因で海への降下ができなくなることを稑封と呼び、ベニザケが一生を湖沼で過ごし定着したものがヒメマスだ。
ベニザケは川の支流や上流に深く広い湖沼が接続された環境にのみ生息し、地理的な依存が大きい。

ベニザケのオスも故郷へ帰ってきた。

現在、ヒメマスは商業価値の高い魚種で北海道のみならず国内各地に移植され、利用されている。
前述の通り、北海道では阿寒湖とチミケップ湖(可能性として屈斜路湖も?)が原生地だが、近年クニマス再発見でクローズアップされた 秋田県の田沢湖と、そこに過去生息していたクニマスもベニザケの稑封型である、という意味では国内の自然分布の跡地といえそうだ。
しかし、他の場所での現在のヒメマス生息地域は自然地理学上の背景は皆無で、人為的な移植のものだ。

躍動する赤。

一つのいきものを見るとき、それが移入されたものか原生のものなのかで僕の感じ方は大きく変わる。
例えばクニマスが再発見されたされた時、その貴重さに少しの驚きと喜びを感じたがやはり絶滅という事実は変わらず、さほど興味も持続しなかった。
クニマスは関係のない土地で人為的に生きながらえていただけであり、本来クニマスと共に生きていた生き物も環境ももう無いのだ。
原棲の全てのいきものは、生息する土地の歴史を背負っている。

源流への行進(中央はアメマス)。

いきもののあるがままの姿とは何だろう?。
いま、この時間、僕たちの生活とともに同じ時間の異なる場所で多様ないきものが息づき生活している。
そのどれもが、人工的な大小の影響を受け不利なせめぎ合いを続けている。

赤い体と緑色の頭部がベニザケの系統を物語る。

しかし、そのことについて僕が感じる感傷は、当事者であるいきものにはあまり関係がなくて どんな状態に置かれていてもいきもの自身は幸せな日々をただ懸命に過ごしているに違いない。
そういったいきものたちの生活は僕を強く惹き付けるし、とても悲しくもさせる。

 

 

きらめく星の下、冷涼さを増していく夜のとばりと水面のざわめきに馴染んでいく五感がくり返されてきた生き物の永い年月をさかのぼる。 とらえようのない、この不思議な感覚が何なのか?僕はずっと説明できないでいる。

太古からくり返す時間。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

カテゴリー

カテゴリー一覧

このカテゴリーの他の記事

ページTOPへ

Copyrights © 2010 Doubutu-no-kuni All Rights Reserved.
誌面、Webにおけるあらゆるコンテンツの無断複写・転載を禁じます。