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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.90 シシャモ荒れ。

2018.12.10

暖かい晩秋が続いていた。

数日の調査と、遡上を予想した日は何事もなく過ぎ、焦りを感じ始める。
河畔では暖かい陽射しの下で丹頂鶴の親子が魚を獲っていて、カラスが遠巻きに伺っているのが可笑しい。

登りの坂道を進み、フロントガラスの向こうの空を見上げ、雪が降るのはまだ先かなあ? とぼんやり考えながらハンドルを回す。
通学路でもあるのでゆっくりカーブを回ると、道路の真ん中にクマが歩いていた。
さすがに不意過ぎて何度か目の前のクマを見直してみたが、黒く、そこそこに大きい物体はクマで違いなかった。

諦めの強まった翌早朝、河へ散策に出ると思いがけなく魚群を見つけた。遡上が始まったようだ。

おいおい‥と思い、すでにだいぶ落としていた車のスピードをさらに緩め、止まりそうな速度で進む。
坂の下には家が並び、バスセンターがあり、坂の上には小・中学校があり、町営住宅もある。
下校時間を若干過ぎた頃であり、季節的に日没は早くなっているが、そんなに遅い時間なわけでもない。

河畔の、魚神を呼ぶイナウは今年もアイヌの方々によって供えられ、陽に映えていた。

相変わらず、クマは道路をのそのそ歩いている。
あまり迷っている間もないので、車を止め、クマ対策を管轄している知床財団へ電話をした。
通話の終わり頃にクマは急にヤブへ分け入り、姿を消す。
気がつくと、停車をしている僕の後ろには別の車が止まり、僕の様子を伺っていた。
この様子だと、後ろの車は多分にクマを見ていなかったようだ。
カーブの手前に停車をしていたので先へ進めず、邪魔だったのだろう。
後続車は怪訝そうな様子で、ゆっくり僕の車を追い越して行った。

正午くらいから湿原へ出向く。ここでも湿原特有の濁りの中にししゃもが上流を目指していた。
視界は悪いが、どうにか至近で撮影。

周囲に誰もいなくなったのを見計らい、車を歩道に乗り寄せ、僕は車から降りた。
知床ではクマは特に珍しくはないので、いつもならクマがいても放置か、問題があって通報するにしても通過してしまうだけなのだが、学校もあり、人の多い街の中心部で見失うと何かしら危険が生じる恐れがある。
遅くまでグラウンドで遊んでいる子供たちが家路につく事だってあるかもしれない。
僕は動きが見えるよう、クマが分け入ったヤブへガサガサと進み、探してみたが見当たらない(心得がない人は真似をしてはいけない。藪の中で待ち構えている場合がある)。

陽が沈み、

しばらくヤブと、ヤブから見下ろす低いあたりを探していると、程なく斜面を降りきったクマが眼下の、護岸された小川の中へ進んでいくのが見えた。
小川の中には産卵が終わって白く、ボロボロになったサケが数匹泳いでいるが、クマはそれを追い、食べ始めた。
見渡す限り、今のところ周囲に人気はないが、不意に誰かが来るのはマズイ。

ヤチボウズが暗がりに潜み、

川はバスセンターの駐車場を横切っている。
サケを食べ始めたクマはしばらくは動かないだろうと考え、一旦クマから目を離し、坂を下り、バスセンターへ車を移動させた。
護岸された河床は低く、岸は壁になっているから一息にクマが走ってくることはないだろう。

シシャモが泳ぐ湿原の大河に星が舞う。

クマを見張っていると知床財団の車両が到着する。
スタッフに会釈をし、邪魔をしても良くないので帰ろうか、と思ったが、振り返ると、やはり見つからない様子であった。
位置を教えようと思い、銃を持ったスタッフに寄ったが、この時下を向いた一瞬で僕もクマを見失った。

翌日の朝は雨と濃霧に見舞われ「シシャモ荒れ」の始まり。
徐々に水中の土砂浮遊物が増え、濁流となり、間もなく視界が無くなる。

蒸発するわけはない、目を凝らす。
すると護岸内に数本生えたヤナギの茂みの中で姿勢を低くし、こちらを伺っているのが見えた。
茂み、とは言ってもスカスカで、普通に考えればそこに何かが隠れていても見失うことは無いはず、なのだが、先入観のスキを突くように器用に身を隠す。
慌ただしい人の動きを察知したのだろう。
僕が「そこにいるよ」と指をさすと、スタッフは居場所に気が付いたようで「これはいけない」と呟いて進み、銃を構えた。

「シシャモ荒れ」は高山にも訪れ、ナキウサギの棲家を雪が埋めてゆく。

学校があったり、町中であることが、もちろんいけない。
結構なサイズのクマであるのもいけない。
エサがある、と学習したクマはその場を去る事はなく、放っておけば次の日も居続けるので、これもいけない。
発砲できる時間は日の入りまで、と法律で決められていて日の入りは迫っている、のもいけない。
そして、業務とはいえ殺生だ。撃ち手も正直撃ちたくはないが選択肢は無い。
「いけないこと」は多くある。

獲物を探すキツネ。

後ろで射手を眺めていると、ためらいのせいか最初の発砲は背をかすめ、外れたようだ。
クマは一瞬毛が逆立って、そこでやっと恐れを抱いたようで、その場を逃れる仕草を見せたが、もう遅い。
間も無くの次弾では足の裏を見せ、うつ伏せ様にぱたりと倒れた。
気が付くとパトカーも来ていて、それぞれの後始末が始まる様子だったので僕はさっさと帰宅した。
そのまま陽は落ち、静かに1日は終わり、夜、僕はウトロを遅い時間に出た。
シシャモの調査と観察に出発だ。

ツツジの葉を食べるナキウサギ。
厳しいが、美しい冬の始まり。

近年は資源量が減り、遡上するシシャモに会う事が難しい。
帰宅がいつになるかはわからないが、一週間を超えることはないだろうと思う。
超えるようなら、それは調査と観察の失敗だ。
夜も気温が高く、暖かな日が続いている、が ― シシャモが来れば ― だが、 こんな時に限ってどこかで急転し、本格的な冬が始まるに違いない。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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