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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.99 いのちをつなぐいのち

2019.9.26

ふと思い立ち、以前、よくオショロコマとサクラマスを撮影していた場所へ行ってみた。
この場所では一通りの撮影はこなしているのだが、行く度に醜悪な密漁者に出会うので辟易したのと、近年、みるみる遡上数が少なくなり、魚群が薄くなっていたので撮影意欲が湧かなかった事も足が遠のいていた一因だ。

サクラマスの婚姻色が深まる頃、沢沿いに花開く魔性を秘めたトリカブト。
ギリシャ神話の半神人ヘラクレスが神になるために12の試練を与えられ、最後の試練が冥界の王、ハデスのペットであるケルベロスを素手で倒し、地上へ連れ出すというミッションであった。
ケルベロスは三つの首を持った地獄の番犬で、頭を交互に眠らせ、亡者の脱走を監視し、禁を犯した死者を貪り食う‥が私と同じ甘党らしく、
甘味で手懐け、その隙に逃げ出す事が可能だとか(ダメな犬だ‥)。
ヘラクレスがボコボコにケルベロスを打ち負かし、地上へ引き摺り出すとケルベロスは初めて見た強い陽光に驚き、興奮し、飛散したヨダレの痕からトリカブトが生えたのだという。

しばらくぶりに来た沢で、僕は思ったように身体が動かなかった。
「よく知っている場所‥」という、先入観が邪魔をしているのと、以前と比べると撮影スタイルがかなり変化していて、装備や撮る内容も変わってしまっている。
一つ一つを思い出すように地形や水中の様子を観察し、今の自分が撮る最善の方法を考える。
不思議と、関心の持ち方が変わると撮れる内容も変わるもので、自身は常に変化を遂げているが、それをきちんと解明し、捉える事ができるのも自分だけで、生意気になれば単に手慣れてしまう。
沢で色々と試していると、思いつく撮影法方に対して幾つかの道具が不足している事がわかった。
必要な機材と習性に合わせた時間帯、求められる天候が揃わなくてはいけないし、シャッターを押して納得した写真が撮れるまでは全ての動作が絵描きでいうところのスケッチだ。
一つの撮影が一度で終わる事はほとんどない。

果敢に激流に泳ぐサクラマスを襲う。

沢へ降りた最初から気がついていたが、生臭い空気が強く周囲に漂っていた。
これがもしクマであったなら、もっと発酵を混ぜたような重い臭いがするものだが、しつこくなく、キレのある生臭さの持ち主はキツネだろう。
臭いの強さから考えるに、決まった生活経路を往復している個体がいるようだ。
今はキツネの子育ての仕上げにあたり、食料の確保への義務感も強い時期のはず‥
等々、翌日からの撮影と併せて考えを巡らし、撮影を切り上げ、来た道を戻っていると一頭のキツネとばったり出会った。
お互いに歩を止め、しばらく見つめ合う。
止まった空気が再び動き出し、お互い反対に道を進み始める‥が、キツネの行った道を振り返って見ると、向こうもまた同じ動きをして、じっとこちらを振り返っていた。
キツネはすぐに姿勢を正して歩き始める。
僕はくるりと進む方向を変え、距離を保ったまま、ゆっくりキツネの後を追い始めた。
キツネは僕が辿った道をリプレイするように、そのまま降りてゆく。
姿が見えなくなったので、死角になる箇所に気を付け、遠巻きに崖を下ると滝の下の魚溜まりにちょこんと座るキツネがいた。
邪魔にならないように、距離を保ったまま僕もキツネを眺めて座り込む。
滝の下ではオショロコマが時々跳ねている。
不規則に跳ねる終わりのないモグラ叩きは、ほとんどの場合で捕獲のタイミングを失したが、何回かに一度は機会があって、するすると距離を縮め、捕食に成功する。
所作から察するに、水中での想像上の魚の動きと、魚が水面を割って出た後の実際の動きが一致した瞬間に漁が成功するらしい。
運動能力のすぐれた動物とは言っても、想定外の事には対応できないのだろう。

捕まえた魚が大きすぎ、サカナが身体をくねらせるたびにキツネが目を回す。

それからしばらくの間、僕は沢へキツネに会いに、通う事になった。
当初は水中の撮影をしたかったのだが、それはそれ、これはこれ。自然に予定調和は無く、仕方がない。
ガイドも幾つか入っていて忙しく過ごしてはいたのだが、隙間を縫ってはキツネの観察を続けた。

左岸と右岸に座るキツネ。

ある日、いつものキツネがなかなか現れない事があった。
どうしたのだろう?と思っていると違うキツネが出勤してきた。
見覚えのあるキツネで、毎日の車での行き来の際に10キロ程度先の路上で見かけた個体だ。
全てではないがキツネの行動範囲はかなり広く、長距離を移動してくるものは案外多い。
魚の匂いを辿ってきたのか、それとも、魚を見て騒ぐカラスやオジロワシの声を聞きつけて辿ってきたのか?
長距離を移動する個体にとっては、伴う発見こそが最大の利益で、生きて行く技術でもある。
何せ、水域の狭まる氷河期に北半球のほぼ全域を徒歩で制覇した探検家の末裔なのだから。

跳躍するオショロコマを眺める。

こうして、いつもの魚溜まりには新参者が座り込んだ。
しかし、残念ながらここを拠点にしているキツネと比べると彼は漁の技術が未熟なようで、全く魚が獲れないでいる。
僕が素手で魚を捕まえる方がずっと上手な気さえした。
なかなか魚を獲れず、下手を打つばかりで写真にならない‥と苛立っていると、反対の右岸にいつものキツネが現れた。
争いを避けて昨日までの行動パターンを変えたのだろう。
川を挟んで座り込む二頭のキツネ。
「妙な光景だ‥」とぼんやり眺めていると、いつもの右岸のキツネはするすると、簡単に大きなサクラマスを捕まえていった。
魚獲りの技術の高さに感心させられるのと同時に、思考切り替えの早さ、争いを避けつつ目的も達成する高度な判断力にも感服させられた。

するすると一瞬で距離を詰め、襲う。
小型のオショロコマは自分の食事のようで、捕らえてその場で食べてしまう。

北海道の川には時期が来ると大型のサケマス類が多く遡上し、ざっと思いつくだけでも5種類はいる。
それぞれの魚は3年や5年を海や湖で過ごし、川を遡ってくるわけだが、一匹あたりにかかる成長には膨大なコストがかかっている事は想像に難くない。
しかも、成長するだけではなくて様々な苦難を乗り越えて上流まで遡ってくるわけで、遡上・産卵の成功率なんてほんのコンマ数パーセントに過ぎないだろう。

 

 

少々違う話になるが、知床周辺のサケマスの遊漁規制は行政の見識が道内で最も遅れていて、河口規制のない河川が多い。
河口規制を判り易く言うと、北海道の大部分の地域では海と川の接合部の海側の一定距離(500mや1kmが多い)でサケ・マスを釣る事を禁じている(川でのサケマス釣りは全部禁止で遊漁をすると密漁になる。)。
それを何故か道東の一部と知床周辺では河口からすぐ海側で釣りをする事が可能となっている。
こんな調子なので、川に集まってくるサケマスは当然群れの密度が濃く、そこに釣りの仕掛けを投げて簡単に釣果が望める、というわけで、目の色を変えた連中が全国から集まってくる。
何十でも何百でも、略奪をするように釣ってゆく。
目の色を変えた釣り人たちは所狭しと勝手に車を止め、テーブルやイスを広げ煮炊きをし、私有地に入り込み、魚の内臓やゴミを捨て、バスの停留所を占有し、自分の排泄さえもその場にしてしまう。
いちいちトイレに行っていると良い釣り場を誰かに取られてしまうから、だそうで糞塚が出来上がる。
こういう狂乱状態は畜生以下のように思う。
様々な関係から動きが遅く、規制が進まない事情はあるのだろうとは思うが、ここは早く全部の河口で禁止に踏み切らないと世界遺産を擁する行政の自然保護への不見識が問われるだろう。
一つずつ禁止を進めていってはその度にまた一つの未規制の河口へ難民のように釣人がなだれ込むし、既に現在がその状況だ。
僕と同じガイド従事者でさえ「数百釣りました」と恥ずかしげもなく嬉しそうに吹聴して回っていて、こんな人物に自然の解説をする資格はないと、心から軽蔑を覚えたりもする。
生物を殲滅しておいて一体、何の自慢になるというのか?

大きなマスを捕まえると、それには一切口を付けずに家族の元へ持ち去っていた。
調子のいいときは短い時間に10尾ほど持ち帰ることも。

今年はカラフトマスがほとんど遡上せず過去最大の不漁で、先にも書いた通り、サクラマスも少なくなった。
サケは人工孵化に頼った母川回帰のせいで一定数を何とか維持をしているが、それでも様々な個体群の病気や自然の変化、そのリスク回避を考えると自然孵化を含む多角的な生息状況の保護は言うまでもなく重要だ。

たくさんのいのちをつなぐたくさんのいのち。

川を挟んで座り込む二頭のキツネを眺めていて、不意に、地獄の番犬ケルベロスの話を思い出した。
ケルベロスは冥府からの亡者を監視する役目で、脱走や違法を見つけると亡者を貪り食う。サケの亡者を食ってはくれまいか、僕は飼い主のハデスではないのだが‥と妄想をしつつ、独り言ちた。
漁をするキツネはその一週間後くらいには全く滝へ来なくなってしまった。
きっと子供達が独立し、養う義務から解放されたのだろう、衣食足りて‥は動物の方が賢明のようである。
少し離れた草原で昼寝をしつつあくびをするいつものキツネを見かけた。
気温や水温は徐々に下がり、サクラマスの色も鮮やかになってきている。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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