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Vol.75 コリンゴの季節。

2017.9.12

久しぶりに実家へ電話をした。

コリンゴの木に親子のクマが登って実を食べていた
親の姿がよく茂みに隠れてよく見えないが、折れそうな細い木を器用に登っている。

ここ数年(もう5~6年は優に超えているだろう)実家へ帰ったことはないし、電話もほとんどしないのだが。
母との久しぶりの会話は「エゾノコリンゴを知っているか?」だった。

親子が去った後の木の下は、クマが手折った枝と落ちた実がいっぱい。

知床へ住んでから初めて見かける木と、木の実があって、それがエゾノコリンゴだった。
周囲の古老や先輩のガイドはエゾノコリンゴね、と言っていたが、僕にはどう見ても変わり種のスモモに見える。
図鑑には載ってはいるが、実際に見ているものとはかなり印象が違う気もする。
キノコを写真で判別する事の難しさを想像してもらえれば、そういった感覚は理解できると思うが、少ない写真資料で生物や植物を見分けることは結構困難だ。
実を食べてみたが、控えめな酸味の感じはスモモとは違う気もする、うーむ‥。

木の実にかじりついた痕。

母は野菜や植物、花を育てることに関しては天才的な人で、知識も豊富だ。
植物ならわかるだろう、と思っていたのだが、母親は電話越しに「聞いたことないねえ」と「わからない」を繰り返した。
普通に考えればエゾ=蝦夷=北海道であるし、本当に「エゾノコリンゴ」という名称であれば北海道の自生種だろうから知っているはずだ。
僕は、このスモモっぽく見慣れない謎の植物は、開拓者が植えた食用種ではないかと疑っていたのだ。
人が植えた食用種ではないか?と感じていたのには理由がある。
一部を除き、多くが放棄された昔の開拓地の一区域にポツンと一つか二つの木が生えている事が多く、生えている場所が限定的過ぎるからだ。

未消化のまま排出されたコリンゴ。
スモモではないか?と思った要因の大きな種。

その後、幾つかの図鑑を調べてみると、「サンナス」や「サンナシ」という地方名の記述を見つけ、先の疑問とは正反対に、これは北海道の自生種だ‥と半分確定した気がした。
北海道にはサルナシや、ハマナス、という植物が自生している。
サルナシはコクワの事だし、ハマナスは赤い実が特徴的な海岸生の低木だが、ナスとは全く違う見た目なので、おそらく正式には「ハマナシ・浜梨」だ。
「実」を「ナス・茄子」と解釈する事には普通かなり抵抗があるはずで、北の防人であった弘前藩か、関係する屯田兵の出身地の影響で、語尾の「ス」が「シ」と訛ったのだと思う。
呼び名に訛りが定着している時点で、ネイティブなものである確率は高い。

数日後。ガサリと、音がしたので目をやると小熊が木に登った。
周囲には母グマの姿はない。

試しに改めて電話をかけ、サンナスは知ってるか?と聞いてみたら、すぐに父が反応し、母づてに会話に参加した。
父はサンナスは知っているらしく、リンゴっぽい味がしたけれど、最近は見ないな、と父が言ってるよ‥と母が語る。
父の発言が全て母越しに語られるので、まるで直答が許されない殿上人と下人のようだな‥と携帯を耳に当てながらぼんやり思う。
語尾がゴニョゴニョだったので「ス」なのか「シ」なのか、どっちだ?と問うと、はっきりわからないらしく、
当時は語尾は不明瞭なまま、サンナシ・サンナス、どちらとも受け取れるように会話をしていたらしい(こういった言葉の技法?は津軽弁ではよくある。)。
電話を切り、もう少し調べてみると、サンナシ川という河川もあり、エゾノコリンゴが繁茂する・過去には繁茂した河川なのかもしれない。
ポツンと生えている件のコリンゴの木とは別に、僕の住む知床近くの海岸線には、一部エゾノコリンゴが大量に生えている海岸線があり、人が植えたものとしては規模が大き過ぎ、常々、それが何なのか疑問に思っていた。
しかし、父の「最近見ないな」の発言で色々と腑に落ちた。
恐らく、コリンゴは海岸線(もしくは湿原、北海道の海岸線は本来湿原が多い)に好んで生える樹種で、開発が真っ先に行われた海岸や湿原においては、早くに喪失してしまったのだろう。
郷里でも1978年には海岸線に大規模発電所の着工があり、なんとなくだが親父の「最近見ないな」(年配の人の最近はたいてい大昔だ)は開発時期と一致するような雰囲気がある。
自分の、個人的な疑問として湧き上がってきた情報と、自分の身内や、過ぎ去った時間と関わる物語が偶然にもあることが、旧知の誰かと再会したような気がして、何だか嬉しい。

度々、森の中でギャー、ギャーと鳴き、母グマについて回る子グマの姿を見かけていた。
森に隠れ潜むように暮らすクマの子が大きな声を上げることは滅多にない。
子グマに問題があったのか、母クマに問題があったのか? 原因は定かではないが、育児放棄らしい。

どうしてこれほど僕がコリンゴにこだわっているかというと、夏に痩せたクマにとってはかなり大事な食料らしく、今頃の時期、よくクマがコリンゴを食べに来るのだ。
僕は、クマがこういった植物や果物を食べる様子が豊かに思えて、とても好きだ。
その食べ物が、人為的な食用種なのか、自然な自生種なのかでは、僕の脳裏に巡るストーリーも大きく変わってしまうので、写真に写すものの情報の精度は大事になってくる。
自分や、一瞬をごまかさないからこその、記録としての価値が写真にはある。
一方で、写真は嘘もつけるけれど、嘘や複製・過剰な真似で演出された写真作品は表現として価値がないと僕は考えている。
素直な感覚を始点に持つことは、写真を撮る上で僕にとっては最も大事な動機なのだ。

時が経ち、赤く色付き始めたコリンゴ。
その後、子グマの亡骸が森の中で発見された、という報告があった。 
情報のみなので、この子グマが命を落としたのかどうかは不明。
いきもの達は、様々な事情の元暮らしていて、それぞれの物語が森の中で静かに綴られている。

数年、クマがコリンゴを食べる風景の撮影チャンスを狙い、色々と試してはいるのだけど、なかなか納得のゆくものが撮れずにいる。
試みの一つとして、ここ二週間ほどは時間があれば高い樹上から吊り下がり、ひたすら待ちぼうけを過ごしている。
無為な経過に焦りがないわけではない。
しかし、いつかは狙った写真が撮れるだろう。
きっと僕の感覚は遺伝子の記憶でもあり、起きる事柄は自分をどこかに繋げ、手探りで探す何かは、関係のある事柄へと僕をおそらく導いている。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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