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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.94 薄暗い森、流れる川。

2019.4.18

 何年か前に亡くなってしまったが、敬愛する小学校の先生がいた。
なんと言っていいか、色々と決まりごとの多い世の中で、決して一般的に正しい感じの人ではなかったと思うが、人間臭く、ありきたりの強い正義を嫌った。
ある種の諦めと純粋さ、独特のロマンチズム(教師ではなく、本当は捕鯨船に乗りたかったのだそうだ)を持っていて、彫りの深い顔に似合わず、優しい人だった。
今では考えられない事かもしれないが、放課後、先生と何人かでよく一緒に釣りに行った。

細雪の降る寒い日、赤く、大きな魚が一足早く上流を目指していた。

この時期の変化は劇的で、雨が降り、雪が降り、融け、流れ、花が咲き‥

薄い鉄板の床越しに、バタバタと騒がしい濃い緑色の先生のジムニーがまたいい味を出していた。
共通の趣味があると、気取った会話や、難解な人間関係の前提がなく付き合える。
釣り糸が絡んだだの、大きいのが釣れただの、くだらない事がそのまま当たり前に楽しく、何か面白い事をわざわざ探す必要もなかった。


雪融け水にカエルの卵。

世の中は高度成長期の終わりで、駆け込むように開発が地方の端に波及していた頃。
急速に、失われゆく自然が多かったのだろう。
象徴的にイトウを取り上げるメディアが多く、どれもあまり内容は覚えていないが一種のブームだったように思う。
人気のマンガ作品でも取り扱っていたし、NHKの番組では青森県・小川原湖の、すでに(放送時点から逆算すれば絶滅から40年が過ぎたぐらい)絶滅したイトウの特集をやっていた。

水が温み、遡上が本格化すると縄張りやメス巡っての争いも頻発する。

絡み合い、争う雄。

先生はしばしば言った。
「お前は生まれて来るのが遅かったな」
手の届かない事を言われて、当時は悔しかったけれども、きっと先生自身が感嘆するような景色がたくさんあったに違いなく、食い付きの良い僕を見てつくづくそう思ったセリフと推察される。

河畔林ではクマゲラも縄張りを争っていた。
どこに勝敗の分け目があるのかはわからないが、彼らの争いは互いに鏡写しの踊り。 

定位する雄雌、イトウの婚礼。

身近にイトウは居なかったし、メディアに「絶滅」「希少」という、何故か有難く(?)感じるワードを植えつけられた結果、当時の僕はイトウに全く現実感を持っておらず、恐竜とか化石に近い印象だった。
内容を覚えていないのでなんとも言えないが、それは各番組や作品の作り手の狙い通りの結果だったのかも知れず、制作側の認識が反映される部分でもあるから、機会があれば当時の映像を再び見てみたい気がする。
何かでイトウ(多分、昨日の番組見た?くらいの)の話をしていた時に、先生が言った。
「イトウなんて全然珍しくなかったんだぞ、どこにだって居たんだ。」
その言葉が耳に入った瞬間、僕は、既に無くなってしまっただろう見た事も無い薄暗い森や、そこに流れる、澄んだ川や沼を脳裏に思い描いていた。
恐竜的に遠いイトウに対して、ある種の現実感を与えたのは、先生のこの言葉だったかもしれない。



あれから何年も経つ。
単にイトウを求めたわけではないが、道内の各地を歩き回り、経験が増え、いろいろな人のお世話になり、教えてくれる人や、頼りになる友人もいて、あれこれ調べるうちにチラホラと各地でイトウの姿を見かけるようになってきた。
ある程度はまともに観察ができる事も判った。

よくよく水底を見つめると、多くの場所で受精卵や死卵が混じり、流れ、溜まっている。
産卵床はもちろん、卵を潰さないよう歩く場所には気を付けたい。


僕はあの時、脳裏に描いた森や川の端にやっと、辿り着いている。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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