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Vol.67 冬の森、小さき住人エゾヤチネズミ。

2017.1.9

子供の頃からネズミ類は良く見る生きものだった。
「多分、ハツカネズミとかドブネズミという種類なのだろう‥」という程度の認識だったが、ネズミカゴを離れの小屋に仕掛けていて、ネズミがかかったかどうかを祖母に伝えるのが僕の役目だった。

辺りが静かになると周囲を伺い、巣穴から出てくる。

辺りが静かになると周囲を伺い、巣穴から出てくる。

駆除であるから、捕まえたネズミはカゴごと川へ持って行き、沈めて溺死させる。
祖母がその役割を負う事が多かったが、彼女がカゴを手に持ち、川へ向かう大きな後ろ姿を見かけるたびに「ネズミがかわいそう‥」という気持ちが少しだけあった。

 印象として、目があまり良くなく、動くものに敏感な様子だ。  ただ、人間とネズミではサイズ感が相当に乖離しているので動かないと認知しづらいのかもしれない。 (仮にゴジラが寝ていたら、僕は知らずにその上を歩くと思う)

 印象として、目があまり良くなく、動くものに敏感な様子だ。
ただ、人間とネズミではサイズ感が相当に乖離しているので動かないと認知しづらいのかもしれない。
(仮にゴジラが寝ていたら、僕は知らずにその上を歩くと思う)

おそらく祖母は、殺生を孫に見せまいとしたのだろう。
彼女は農作業の終わりに泥にまみれたクワやカマ、ネコ(一輪荷車)を洗いに川へ向かう際には僕を誘ってくれたが、ネズミを殺す時には声をかけてくれなかったし、どうして 連れて行ってくれないのか?と聞いてはいけないような雰囲気もあった。
そして、一人で川へ遊びに行くと、ネズミの入ったカゴが水底に沈んでいるのをしばしば見かけた。

 

3

 

かわいそうだったけれども、カゴのネズミを逃したり報告をしなかった事は一度もなかった。
祖母も両親も、考えや理由があって罠を仕掛けているのだから、勝手に放逐するのは信義に反する。
カゴ越しに見るネズミはかわいい生きもので、見ている限りは、さほど問題には感じない。
生じる問題は主に衛生面ではなく、食料を食べてしまったり、どこかに穴を開けてしまったりということのようだった。

とにかく慎重で臆病。

とにかく慎重で臆病。

都会と違い、醜悪なドブ川や下水道は田舎にはないから、汚く、急に深刻な伝染病をネズミが媒介するというのも考えづらい(北海道には寄生虫に由来するエキノコックス症 があり、知識や基本的な対策は必要)。
ネズミが臭わなかったのも、清潔そうで好意的に思えた点だ。
そ もそも、鹿やタヌキを素手で触った事がある人ならわかるだろうけど、大型のけものは相当に臭く(動物園と違い、野生の動物は単に見ているだけでは臭わず、触れた手が臭くなる)犬や猫、それが鳥であろうと鹿や熊であろうと、人間の生活感覚から冷静に分析すれば、いずれも清潔とは言い難く、彼らに比べてネズミが格段に汚いという事はない。

あちこちに枝分かれして雪洞が広がっている。

あちこちに枝分かれして雪洞が広がっている。

田や畑のあぜ道を歩いていると、恐らく、足元の地下にある空間が崩落するなどして露出するのだろう、何かの拍子に振り返った際に、時折、ネズミやネズミの赤ちゃんが落ちていた。
こういう時、度々僕はネズミを持ち帰りプラケースや箱に入れて飼うのだった。
罠にかかる、いわゆるイエネズミ(人家に居付くネズミの総称)と、持ち帰るネズミの種類は基本一緒なのだが、不思議と親にも、祖母にも怒られた事はなかった。

カメラにギョッとしたのか、そもそも緊張しているのか、けものっぽい表情。  体毛は細かな毛が高密度に密生し分厚いフェルトのようになっていて、低温には強く、長めの外側に突き出した毛は雪を浮かせ、雪との密着と濡れる事を防いでいる。

カメラにギョッとしたのか、そもそも緊張しているのか、けものっぽい表情。
体毛は細かな毛が高密度に密生し分厚いフェルトのようになっていて、低温には強く、長めの外側に突き出した毛は雪を浮かせ、雪との密着と濡れる事を防いでいる。

こういった事を経て、幾つか写真に収めたい景色や生きものがいて、ネズミや魚、ニホンザリガニ、サンショウウオやカエルがその対象であり、それらを撮るために僕はカメラを始めた。
僕の嗜好の基本は身近な生きものにあり、今撮っているヒグマや鹿、ワシは偶然に脈絡したおまけみたいなものだ。
ある時、森林でのエゾフクロウの撮影の際、周囲からカサカサと聞こえる音が気になった。
音のあたりに目を凝らすと、小さなネズミがいる。
エゾヤチネズミだ。

融雪時に露出したトンネルと、巣材が敷き詰められたねぐらの一部。

融雪時に露出したトンネルと、巣材が敷き詰められたねぐらの一部。

ヤチはアイヌ語で湿地を指す言葉だが、特段湿地ばかりで見かけるわけでもなく、どちらかというと豊かな森に多い。
昼間のフクロウはほとんど動かないので、ひとしきりシャッターを押すと、あまりやる事がなく、暫くヤチネズミと遊んでみたが、森の中の草や笹の下はかなり暗く、当時のフィルム感度では動くものをまともに撮影できなかったし、仕掛け的に撮影するにも、機材も、それを運用する知識も不足していた。
ドングリが多い森にはネズミが棲み、ネズミが多く棲む森にはフクロウが棲み、フクロウが棲む森から溢れ出たネズミは民家やその周囲に棲み着く‥。
こういった当たり前の事をこの時に思い、いつかするであろう「自然の下支えの世界」の撮影を着想した。

もう何年も経ってしまったが、カナダ・アラスカをまたがるユーコン川をカヤックで下った時に、手頃な流木がふんだんにあったので盛大な焚き火を常にしていた。  その後に知ったのだが、それはビーバーの巣であったらしく、思えばあちこちに流木が大量に吹き溜まっていた。 ビーバーもネズミ類で、ビーバーは川をトンネルに見立てて自在に流れを変えたり、居間や台所、書斎(?)を作って過ごしている。 北海道のヤチネズミも、アラスカのビーバーも、地域の環境に合わせて過ごしてはいるが、「長い通路」を好み、本質的には大差はない。

もう何年も経ってしまったが、カナダ・アラスカをまたがるユーコン川をカヤックで下った時に、手頃な流木がふんだんにあったので盛大な焚き火を常にしていた。
その後に知ったのだが、それはビーバーの巣であったらしく、思えばあちこちに流木が大量に吹き溜まっていた。
ビーバーもネズミ類で、ビーバーは川をトンネルに見立てて自在に流れを変えたり、居間や台所、書斎(?)を作って過ごしている。
北海道のヤチネズミも、アラスカのビーバーも、地域の環境に合わせて過ごしてはいるが、「長い通路」を好み、本質的には大差はない。

ドングリが豊作だった数年前を起点に、知床はヤチネズミが多かった。
「多い」とは言っても臆病な生きものだ、1日あたりのシャッターチャンスは数回に限られるし、冬は1日が短い。
次は無いかもしれないという心地で雪中で凍えながら、連日ヤチネズミを待ち続けた。
大きな動物や、その時々の話題、表面的な自然につい目を奪われがちになるが、実は家の近くから森の奥まで自然は続いている。
なかなか生活の多くを見せてはくれず、苦労をさせられているが、根気よく取り組む価値と魅力が、小さな動物にはある。

キツネに捕らえられたエゾヤチネズミ。  ネズミには災難だが、肉はご馳走。

キツネに捕らえられたエゾヤチネズミ。
ネズミには災難だが、肉はご馳走。

ネズミが増えればキツネも増え、フクロウも、テンも増える。
大半の生きものにとっての「神の御息」はネズミであり、ネズミにとってのそれはドングリだ。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
読者の皆様にも、良き神の御息が届く一年でありますように。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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