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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.85 海岸立ち飲み処。

2018.7.17

 細く、長く、海に突き出た知床半島はそこに棲む生き物の海との関わりが深く、森の生き物は海辺でも生活し、海の生き物は森から流入する栄養分で育ち、海獣や海鳥がそれを食べ、それぞれを育んで自然が成立している。
海を抜いて知床の生態系は語れない。
しかし、一方で天候は目まぐるしく変わり、時には凄まじい圧力を見せつけ、その海が生き物には脅威となることも多々ある。

海辺で食べ物を探すクマ。
知床のクマは小さなカニやタコを日常的に食べている。

舳先の向こうに白い物体が見える。

「どこかに死体がある」
風上の遠くから、鼻の奥に微かに腐臭を感じた。
なんとも言えない、すえた臭い。
地形を見ながらカヤックを進め、風の直撃に気をつける。
鼻が利き過ぎる僕は、至近で腐敗臭を嗅ぐとかなり堪え、ひどいと吐いてしまうほど臭いに弱い。
幾つもの浅い湾が連なる海岸線は先が見通せないので、湾の終わりの岬を超えた途端に次の湾の始まりで腐臭源に直撃‥と言うケースはなるべく避けたい。
大型海獣を隠せそうな大岩も点在しているのでそこにも注意だ。

 

 

風向きが変わるたびに臭いが揺り返す腐敗臭には期待するところも大きく、何かしらの動物が集まっている可能性が高い。
正面からの、東寄りの風の中を進むと、パドルからしたたり、シャフトを伝って手を濡らす海水が僅かに油っぽくなり、鼻を近づけると酸っぱい臭いがする。
大型海獣の屍から流れて拡散する獣脂を、容易に想像できる。
あとは風上と海水の流れを辿れば間違いなくたどり着くだろう。
と、思うか思わないかのうちに、幾度目かの浅い湾を超えた途端、大きな白っぽい岩ではない物体が、遠くの方に、視界の奥に確認できた。
クジラだろうか?かなり大きい。
まだ、かなり距離が離れているので物体の周囲には何も確認できない(この距離で仮に何かが周囲に確認できてしまったら、それはクジラ並みの大きさだ)。
波のない水面を滑るようにカヤックを進ませる。
さほど時間をかけずに距離を縮め、点のようだった物体は徐々に大きくなり、クジラとして確認できる位置へと到達した。
「‥何もいないか」とちょっと期待はずれの心地で、気をつけながら大きく周囲を旋回し始めると、クジラの影であまり大きくない、一頭のクマが食事中だった。
肉の塊、とはいえ巨体にかじりついている訳で、クジラの表面、皮膚の一部をしゃぶる事しかできない様子。
大きすぎるハンバーガを頬張った時の、中の肉に到達しないあの感じだ。

親子がやってきて、

お母さんの食べっぷり。

岩陰にカヤックを潜ませた状態で、クマを観察しながら時折シャッターを押していたその時。
クマの様子が変わり、足早に海を背にし、丘へ移動を始めた。
結局、皮膚をしゃぶる事に始終していたので「意外に量を食べないものだな」と思い、後ろ姿を見送っていたら、遠くから一頭のクマがやってくるのがはっきり見えた。
はっきり見えたのは、大きいからに他ならない。
先のクマは、この大きなクマがやってくる事を意識して、食事を止めたらしい。
そういえば、森を貫く川でサケやマスを獲るクマも、長居する事はなく、必ず短い時間でだけ魚を獲って場所を移動し、代わる代わる違うクマがサケ・マスが集まる場所を利用していた。
小さな(?)エゾシカ程度の獲物なら、土に埋め、占有し、食料を守る姿をこれまで見てきたが、魚の集まる場所や、クジラのような大きな漂着物は公共的に利用する事に抵抗感はないようだ。

しばらく食べて、去ってゆく。

 

この大きなクマはさすがであった。
どこから食べようか?としばらく考えている風だったが、動き始めると端の、太い鎖骨的な部分をがりがりとかじり折り、腐肉をよけ、骨を包んでいる赤く、新鮮な内部の肉をもりもりと食べ始めた。
肉のトリミング処理だ。力も思考も、先ほどのクマとは全く違う。
クマの大きさから察するに、好きなだけ食べて場所を占有するのだろう、と思っていたが。
暫くは肉を食んでいたが、満腹、という様子でもないのに程なくして食事を止め、先のクマと同じように海を背にして半島の丘へ姿を消すのだった。
そして、今度はあまり大きくない親子のクマがやってきてクジラを食み始め。

ただただ、美しい食事の風景。

 

代わる代わるクマがやってきては同じようにクジラを食べ、去って行く景色は、なんだか町外れの立ち食い蕎麦屋のよう。
日がな、立ち食い処へ次々に訪れる客を眺め、時計的には長い時間は、静かにあっという間に過ぎてしまい。
陽は傾き、鏡のように凪いだ海は徐々に朱く染まって、夜の気配は増していき。
当たり前だが。
時間を、永遠に止めてしまいたい切ない気持ちは叶えられず、一日は、いつもの通りに終わりを迎える

さようなら。また会う事があれば。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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