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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.80 瀬戸際の地で煌めく命。

2018.2.16

 降る雪が少ない。
冬が好きな僕は、知床のらしくない季節に不満を持っていて、だからこそ雪が舞う日にはできる限り外へ出かけているが、この季節にしては気温も暖かで何だか落ち着かない。
内心にぽつぽつと意味のない文句を巡らせながら、突き出た枯れ草の原っぱへ踏み至ると、朱く陽を帯びた、ちらちらと降りる雪ぎ(すすぎ)と祝福の中に美しいものを見た。

美しい風景を見た。

祝詞が聞こえるかのような光景に立ちすくみ、ゆっくりとカメラを構える。
撮影はどんなに研鑽を重ねようとも、果たしてきちんとそれを捉える事ができるかどうかは最終的に祈る以外にない。

鹿は複数と交配する乱婚の印象があるけれど、仲の良い、身持ちの良い組み合わせも時々いる。

この一瞬が撮れていますように、永遠に残す事ができますように‥と夢中にシャッターを切る。
生きる事はここから始まり、育ち、謳歌する。その根源の光景。

若い雄の取っ組み合いのほとんどは実は闘争ではなく、手心をもった遊びの一環。

同じ日、一方でそれほど離れていない森の中では、立派な体格の3~4歳の雌鹿が寒さと飢えで座り込んでいた。
11月の末頃から禄に餌を食べられず、餓えと寒さで消耗しきったエゾシカが体力を回復させる事はまず無い。
9月の発情期の始まりから5ヶ月が過ぎ、おそらく妊娠もしているだろう。

森の中で死に向かう。

そんな事柄はお構いなしに、落陽と共に冷え込みは増し、命を削り、周囲の雪面にはすでに用心深そうな狐の足跡が幾つも刻まれていた。
姿は見えないがキツネは森のどこかで息を殺し、夜と彼女の死を待っているはず。

 

 

案の定、雌鹿は次の朝には肉や皮を削がれ、ほとんどの部位を残さずに変わり果てた姿を森に横たえていた。
そしてここから恐らく春には新たな命が始まるのだし、昨晩には確実に複数の捕食者の命を繋いでいる。

全く別の場所と時間だが、鹿の骸が横たわっていたであろう場所に沿ってツルアジサイの幼葉が育っている。

 オホーツク海を北から南下する流氷は、最初、僕の住むウトロを避け、反対側の羅臼へ到達するという変わった動きを見せていた。
南下途中の紋別や網走の海はすでに氷で満たされているという。
観光業関係者はやきもきしていたようだが、僕は「なあに、そのうちやってくるさ」と沖合の大規模な流氷群を、車の窓から通り過ぎに毎日眺めていた。

きっと立派な蔓を伸ばし、白く大きな花を咲かせるだろう。

日々、段々と流氷は接近し、海岸線に小さな白いものがまばらに浮き始める。
海路が確保できるのもしばらくは最後になるかもしれないな、と思いカヤックを車に積み、海へ走らせる。
なかなか接岸しない流氷を、こちらから迎えに行くのだ。

流氷が漂う海にカヤックを滑らす(左下にカヤック。自然ガイドの若月愛さん撮影とご提供。)

音もなく、鏡のような海へ、カヤックを滑るように加速させ、沖合を目指す。
水平線の遠くに白いものが見えていた、と思ったら、それほど経たないうちに音もなく流氷は接近し、周囲が氷に囲まれた。

翌日、海の全てを氷が覆った。

青い海に浮かぶ氷塊をかわし、目線からは出口の見えない海路を進む。
その翌日、海は見える範囲の全てを氷で閉ざし、どこまでも続く氷原が果てしなく広がっていた。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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