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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.82 カジカの日。

2018.4.12

丁度1年前。

カジカの棲む清流、水は身を切るように冷たい。

何事においても愚図な僕は、ズルズルと続く撮影と諸業務の板挟みにあえいでいた。
そうでなくても春先は色々なものがめまぐるしく動くので、なかなか考えが定まらない。
その上、冬期のガイドの合間の、無理な撮影行がたたったのか少し体調も崩している。
「八木さん!カジカ採れましたよ!」と一報が入った。
サカナにまつわる大事な友人の一人なのだが、彼は春先はサケ・マス孵化場に勤めていて、時々「ごくり」と唾を飲み込むような魅力的な話を僕へもたらしてくれる。
以前から聞いていた話はこうだ。
「孵化場に水を引き込む小川と、サケの稚魚を育てるプールは金網で仕切られているんですが、どこからか、卵でお腹をびっちり膨らませたでっかいカジカが入り込むんですよ‥」
ごくり、である。

見事な石化けの能力を持つ。

孕んだカジカのお腹。卵が薄い皮を透けて見える。

上流側から入り込むのか?、下流側から入り込むのか?、どちらへの生息タイプも環境が随分変わるしサイズも相当違う。
昔の、子供の時分ならカジカなんて石の下に小指を突っ込めば噛み付いてくるので、簡単に捕まえる事ができたし、20センチ台の大きなものも随分居たけれど、今では結構な希少種だ。
下流側の大型種は少ない生息数だし、上流側のカジカ、というのもなんだか孤高で魅力的ではないか。
ああ‥孵化場で仕事がしたい、と羨みつつ、観察用個体の採集を数年前からお願いしている。
ちなみに友人は上流側からの侵入だろう、という推測を立てていて、それを聞いた僕は、風倒木の組み合う小川にひっそりと棲みつくカジカを妄想していた。

オスは黒く体色を変え、胸ビレを鮮やかな黄色の婚姻色に染める。
産卵がせまるメスは盛んにオスの近くをすれ違い、誘惑し、石の隙間へと誘う。

 

友人から連絡が入ったこの大事な時に、僕はウトロをなかなか離れられないでいた。カジカを捕まえた彼の住む街もかなり遠い。
二日ほどが過ぎ、どうしよう‥と思い悩んでいるうちにまた一報が入った。
「八木さん、カジカが全部逃げました!」
彼は、サケの稚魚を育てるプールへ水を分水・導入する部分の塩ビでできた通過槽でカジカをキープしていたらしく、それが逃げてしまったという。
カジカは夜になると活発に動くので、少しでも身体が入り込む隙間があると思わぬ事をする(だからプールにも入り込むのだろう)。
相当ガッカリしたのと同時に、彼には本当に申し訳ないのだが、お願いしていた手前、先の事情から少しの安堵もあった。

ダンスが激しくなり、一緒に隙間へ入る時間が長くなる。

 

 その一日後。
また別の、僕がこの道で食べていく上でガイド業や知床まで背中を押してくれた友人が亡くなった、と報せが入った。
山や川が好きで養魚場に住んでいた彼は、しばらく入院をしていた。
遡る事数年前、忙しくしていた僕は、しばらくフェイスブック程度の(今思えば、snsに興味の無かった僕をフェイスブックへと背中を押したのも彼であった)僅かな連絡しか取り合ってなかったの
だが、その彼が患ったのだという。
それを聞いた僕は、気晴らしにどうかと思い、とっておきの源流へ彼と、彼のパートナーと三人で一緒に釣りに行った。

大きな胸ビレでメスを包み、産卵を促す。

お互いに小刻みに身体を震せ、産卵が始まった。

澄んだ流れには魚影が見え、大きくはないが、手頃な岩魚やニジマスが竿を引いてくれる。
天気も良く、青空も冴え、滝のしぶきは光り、何もかもが美しい日だった。
その頃、僕は写真へ専念していて、あまり釣りをしなくなっていたのだが、この時はそれを破り、竿を振った。
誰かと一緒に無心に遊ぶなんて、一生にそうある事ではない。
自分も無邪気に竿を振り、フライロッドを見事に振る友人を眺め、一方ではルアーロッドを振っていて、僕は川虫を餌にして釣る。
皆、達人の腕前なので、ムキになって釣る訳でもなく、川での一日を楽しんだ。

産んだ後はオスが卵を守り、面倒を見る。
常に大きな胸ビレでカビがつかないように水流を送り込む。

張り付いた卵塊に注目。
   脂質が卵の底に固まっていて、これを仮に逆さにすると脂質も逆に移動する。

訃報を受け、その日の事を思い出していた。
一寸してすぐに札幌へ出かける支度を始める。
日頃、野外で過ごす僕はいつも薄汚いジャケットで、告別式へ出るまともな服がない。
すぐに出発し、一泊すれば今日中には失礼の無い程度には揃うだろう。
移動してホテルに泊まり、部屋でどう過ごしたかはあまり覚えていない。
思い返しても、ショックだったかどうかも定かではなく、フワフワしていたように思う。

産後2週間ほどの卵。
発眼が明瞭になってきた。

その日の朝、テレビでも見ていたのか、どうだったか。
ホテルの壁と横長のデスクに向かっていた時だった。
電話が鳴り「八木さん!カジカ採れました!メスです!!」と、元気の良い連絡が入った。
クマのように体の大きな友人が、小さな電話を握りしめて、小魚を捕ったと喜んで報告をしているのが想像できて、なんだか可笑しかった。
「わかった、ありがとう!色々終わったらすぐ行くよ、明日には着くと思う、ありがとう!」と、返事をして電話を切った。

 

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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