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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.28 アメマス

2013.10.12

 ある小さな湖にアメマスがいた。
頭は湖上にあり、目は月の如く輝く。
尾は湖底に波を起こし、背ビレは水面に出て陽光に焦げる。
アイヌの人々が船を漕ぎ出せばひっくり返して害をなす。
多くの英雄や神々でさえ、この大魚を退治することができない。
恐れた人々は船底を黒く塗り、夜、静かに湖を渡った。

遡上後間もない時期は、海洋よりも浅い河川での生活に慣れず、水深のある岩穴や障害物の中に集団で潜む。

 しかし、巨大アメマスは意外な最後を遂げる。
ある晩、湖畔に水を飲みに来た鹿を襲い、呑み込んだが、鹿のツノで腹が裂けてしまった。
その死体が湖から流れ出る川を塞ぎ、水が溢れ、大きな湖になった。
北海道の各地に残る、湖の成立についてのアイヌの伝承だ。

アメマスは体型が対流を生かす構造になっていて、岩や川底付近の摩擦で起こるわずかな対流をつかまえ、
推進に変える独特な泳ぎで、急流や大きな落差、濡れただけの浅瀬も遡上し日本の魚類中では唯一源流に達する。

他にも、地の底に封印され列島を背負っている巨大なアメマスが、死にきれずに時々暴れて地震を起こしているだとか、
魔人を退治し、切り刻んで水中へ捨てたら肉片がアメマスになったなど、この魚についての伝説は多く、アイヌにとって身近な魚種であったことがうかがえる。

 アメマスはイワナの降海型であり、イワナがせいぜい30センチ程であるのに対し、アメマスは80センチを超えるものがいる。
(河川残留のイワナについては、いつか改めて特集するので今回は割愛します。)
アイヌ語での古名はトゥクシ。
アメマス(雨鱒)という和名は、身体の大粒な白点が由来だろう。

身体の成熟と共に、季節が深まっていく。

 この魚との初対面は僕が6~7才くらいの時で、サケのウライに入り込んだものを、孵化採卵場の爺様に譲ってもらったのが最初だ。
ウライ(人工孵化事業のサケ捕獲のワナ)は檻状になっていて、サケと同等のサイズでなければ通り抜けてしまうから、相当大きなアメマスだった事は確かだ。
新聞紙に巻いてもらい、重たい腕を我慢して抱きかかえて帰った。

以来、名前と体躯、色彩の美しさにすっかり魅せられ、―水玉模様を持ち、雨水を呼びもたらす―そんな印象をもった魚が僕の中に棲みついてしまった。
そして、そういった幻想は事実でもあり、春から夏の雨の日には淵で休息していた彼らが、待ち望んでいたかのように乱舞し、群れをなして堰や滝を遡る。

小雨の日、薄暗い淵に群れていた80センチを超える個体群。

 こういう、自然の話にはおきまりの結びなので、いつも書くのが辛いのだが、アメマスの残留型であるイワナが各地で激減した。
原因は幾つもある。

山奥や各地に道路が張り巡らされ、モーターリゼーションが発達した結果、世に溢れる情報を得た釣り人が押し寄せ、河川の魚を釣りきってしまう。
同じく、釣り人が外来種であるブラウントラウトを放流し、アメマスを駆逐してしまう。
(ブラウントラウト)の詳細は沢山の情報が世に出ているので、検索等で調べて欲しいが、とにかく気が強い魚で、人が潜って接近しても逃げない。
僕は個人的に駆除を行っているが、魚食性が強く、沢山のイワナやアカガエルが胃から出て来た例が何度もある。
攻撃的な性格は、水中でのアメマスやイワナの生息空間を奪う。

夜、産卵が近いのか、遡上が活発になってきた。

僕の考えだが、その土地の海や山や川のものは、住民票を持っている地元の者以外、手をつけてはいけない、としたほうが良いのではないだろうか?
土地の恵みは地域の宝だ、本来は地域に守る権限があるはずだ。
北海道は漁業権が設定されていない地域が多いが、身勝手な楽しみは時代的に、もう許されないだろう。
そして外国の魚と遊びたければ、外国へ行き、許可を得て遊べばいい。
魚を愛し、土地を愛したならば、戸籍を移し、その土地の住人になればいい。
愛する、とはそういう事だと思う。

こういった事の他に、砂防ダム、環境に全く配慮しない水力発電や、無理な公共事業の遺築物、アメマスが遡上できない構造物が幾多もある。

宅地造成や開発にともない、昆虫の数も減り、エサの減少も生育に影響している。

 

 

そして、どの生き物にも均等に降り掛かる温暖化。
道南では顕著で、高くなった水温で弱り切ったアメマスが白い腹を見せ、あえぎながら瀬を流されていったり、 撮影の為に近づいても逃げる素振りさえ見せない事もあり、彼らの余裕のない表情には悔しさがにじむように感じた。

 少し前に、イワナの秘境として知られた地元の川の源流を潜ってみたが、びっしり魚で埋め尽くされていたはずの淵、児魚が群れていたチャラ瀬に魚影はなかった。
水中から見る、澄みきった水だけが滔々と流れている景色には、胸が締めつけられる思いがした。

河川や湖沼によって体色が違い、この地域のものは金色が強い。

 氷河期の終焉に気温が上がり、北極海から南下していたアメマスは低温の川の源流に活路を見いだし、日本列島に棲みついた。
それが地理的に隔てられ、数々のイワナへと分化し今日に至る。

雨だれのように、生まれては落ち、永く続く生命が、代を重ね生きる事をくり返す。
こうしてアメマスは、次の氷河期に、故郷の北極海へ返る事を夢みている?

 

上流への引力。

イワナもヤマメも居なくなった、源流部を流れる細い岩溪の通路を、一匹の大アメマスが横切っていった。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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