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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.29 エゾリス

2013.11.7

 気温が下がってきた。

どんな状態の天候も紅葉も、美しさは見る者次第。

しかし、普段なら身を切るような温度へと下降を示すのだが、下がり方がゆるい。
先日の、台風接近の際には、気象の乱れで突発的な雪が平野の一部で降ったものの、冬期の来訪が近いような(おきまり)の降雪はまだない。

隅々を動き廻る(中央にエゾリス)。

 秋の経過の時期、森の中はそれまで覆っていた草々が枯れて倒れ、見通しが良くなる。
色付いている木々の葉も毎日、少しずつ落ち、地面を埋めていく。

あまり冬毛が伸びていないが、クルミをあちこちへ隠し、越冬への備えが始まっている。

5~6年前からだと思うが、全道的に紅葉の彩りがはっきりしない。
以来、毎年「今年の紅葉はよろしくない」と世間は言う。
紅葉に関して、見た目の問題以上に本質は重いのだが、その事に関心を持たれる事は少ない。
今年の気温は‥
今年の台風は‥
今年の環境は‥
今年の紅葉は‥
毎回、何年も同じ事を言っているじゃあないですか!と突っ込まずにはいられない僕は意地が悪いのだと思う。
いきもの達はそんな人間の勝手な嗜好をよそに、迫り来る冬への準備に忙しい。

隠した食料の多くは忘れてしまう。それが結果的に森を育てる。

 視界が利くようになった森の中、落ち葉を踏みしめ進むと、時折、木ねずみがカサっと音をたて走る姿が見える。
僕の実家ではエゾリスの事を「木ねずみ」と呼んでいた。
僕は彼らを単にかわいい、と思った事はない。
背中や手足の筋肉は隆々と発達し、運動能力は高く、力強い。
耳や全身を覆う長く黒っぽい毛並みは、ペット的な媚びた容姿ではなく、精悍な野性を感じる。
30センチ程の動物だけれども、キツネやクマと変わらない「けもの」の印象をそこに見ていた。
そのせいもあって、りす、よりも、木ねずみ、という呼び方が感覚的にしっくりくる。

互いに追いかけ回しているのを良く見る。争いなのか、遊んでいるのか。

 昔、近所にクルミの木を門に構えた家があった。
「あそこは、以前サケの孵化場だったんだよ‥」と両親に聞いていた気もするが、ちょっと記憶が曖昧だ。
作業小屋然とした、プレハブっぽいくすんだ水色の板材、粗いコンクリの土間、簡素な作りの家が子供の僕の目には素敵に見えていた。
足を悪くしているらしい、杖をついた老人が家主だ。
美しい川のほとり、森に囲まれた質素な家、正面に並び立つ大きなクルミの木。
木漏れ陽が差し込む木々のこずえにはいつも、木ねずみがちょろちょろしていた。
大きな耳、白い腹の大型のリスは好奇心の強い眼差しを、家の前に立つ僕に向ける。
何もかもが美しく、完璧な世界だった。
青く連なりぶら下がるクルミの実と、木ねずみのいる風景に魅せられ、頻繁に足の悪い老人の元とその庭先へ遊びに行った。
今思えば、僕の進路はあの時に完成していたように思う。

種子類だけではなく、きのこも食べる。

(カサッ、カサッ)木ねずみが落ち葉を踏んだり、木の皮を爪で掴んで動く音が、僕を現実世界に引き戻した。
森の中を歩く時、集中が高じると、過去の事や何かしらの思いに没頭し(しているのかしていないのかも)意識をどこに持っているのか、時折わからなくなる事がある。
自分の、全ての動きを無意識に動かし、いきものを追跡し、我に返った時、そういえば自身もいきものであったと実感する。
無我とも言えるし、逃避と言えなくもない。

ウルシの種も大事な食料。

木ねずみの生活音が森林の端々から僕へ届く。
僕の動きや呼吸の音もまた、木ねずみや隅々に届いているだろう。

雲が退き、山頂を雪が覆った。

いきものが森で過ごし、一日が過ぎてゆく。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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