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Vol.38 水の半島、宝石の森。

2014.8.7

 僕の住む知床、ウトロの夏は急に到来する。
ニュースにもなっていたが今年もすでに2日程、38℃を記録した。
普段の風や気温は基本的には低いが、フェーン現象に引きずられて温度が上がってしまう。
なので太陽がかげったりすると、たちどころに20℃以下になったりもする。
今は落ち着いていて、それなりに気温は高いがここ数年の傾向で考えると低い(丁度良い気温の)推移を保っていると思う。

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ミズゴケの覆う水路にモウセンゴケが生えていた。
モウセンは「毛氈」で昔日本で作られたフェルト質の布の意。

 知床半島は80km程海へ尖って突き抜けた半島だ。
最高峰が1661mで連山を背骨に持つ狭い土地は、全域が山岳地帯といってもいい。
その高低の隙間を縫うように、大正期の開拓地だとか、現在の観光地だとか、知床横断道路とかがあって、住み着く人々はほぼ海岸や海岸に近い平地に居を構えている。
険しい土地なので、人の住める、利用できる場所は現在と旧来の開拓地を含めて、それが限界だと思う。

モウセンゴケは食虫植物。毛先を腺毛と呼び、ここから粘液を出して虫を絡め捕食する。

モウセンゴケは食虫植物。毛先を腺毛と呼び、ここから粘液を出して虫を絡め捕食する。

 急峻な山肌のあちこちには、観光的に知られた場所と、全く知られていない場所もあわせて無数の湖沼や湿地が点在する。
仕事柄、僕は地形図やGPSを眺める事が多いのだけどふと思い立ち、ある日、山中の湖にふらりと出掛けてみた。

苔の水路の終点、湖へ注ぐ流れ。

苔の水路の終点、湖へ注ぐ流れ。

大きな溶岩石がぽつんぽつんと転がり、トドマツの生える原生林。 緩やかに、或いは急に広がる斜面にはツタウルシがびっしり広がる。 いつもの見慣れた景色ではあるけど、僕はウルシに滅法弱く肌がかぶれるので「うわあ‥」という感じがせりあがってくる。 ひるんだ気持ちを抑えてガサガサとウルシ帯を進んだ。

滝の脇にも、苔を土台に生えるモウセンゴケ。

滝の脇にも、苔を土台に生えるモウセンゴケ。

暫く斜面を進み、ちょっとした平地に到達して一息ついたが今度は蚊の大群が襲来してきた。
平地は少し湿っていて、生えている草もまばらだ。恐らく、春先だけ雪解け水が溜まる湿地なのだろう。
僅かに残る水気が大量の蚊を養っているらしい。

山中の湖、原始の風格。

山中の湖、原始の風格。

ブンブンとうるさい蚊の大群を横目に余裕の気持ちで構え、背負ったザックを降ろし、ファスナーを開けた。
今日の僕には買ったばかりの虫除けスプレーがある。
これを吹きかければ、お前らは僕の肌に到達することもなく、歯がゆい思いで回りを虚しく飛ぶ事しかできないだろう。
鼻歌まじりに、ご機嫌で取り出したスプレーのボタンを押した瞬間、失意がどっと押し寄せた。
中身がカラだった。
ガスだけがすうすうと出てくる。
新品の缶と古い缶を車の中で取り違えたらしい。
がっくりとうなだれた僕は、ぺちんぺちんと無尽蔵に襲ってくる蚊を力なく叩き殺しながら、再びウルシの森を進んだ。

暗き森のクマ、微かに光る輪郭が美しい。

暗き森のクマ、微かに光る輪郭が美しい。

 斜面がキツくなり蚊の姿が消え、ミズナラ林の、マイタケでも生えそうな水はけの良い土地に変わってきた。
更に斜面を進むと、背の低いハイマツ林が前進を阻む。
「多分、湖が近いな」という手応えを感じながら、進むのが困難な堅いハイマツ林を避け、地形的に推測できる、湖から伸びる枯沢を探し、登りきった所で湖に到達した。

空気がカラリとすると、カナブンが出てくる。

空気がカラリとすると、カナブンが出てくる。

静みきった湖面から見える、粘土質の水底にはヒグマやエゾシカの足跡がきれいに残されていて、普段の様子を伺う事が出来る。
夜にでも訪れれば星が写り込みきれいだろうなぁ、そんな事を考えながらミズゴケが柔らかに包む湖畔をぐるりと探索した。

洗練されたフォルムと類のない輝き、森の宝石。

洗練されたフォルムと類のない輝き、森の宝石。

 知床では積雪は八月の中頃まで残り、早ければ9月の下旬、遅くても10月には再び白い雪が山頂を白く彩る。
雨もまま降る地域ではあるが、やはり水源として遅い時期までの残雪は影響力が特に大きく、水は冷たい。
水温や気温の持つ様々な要素が絡み合って、海や陸上において水蒸気や雨を呼び複雑で繊細な環境を作り上げている。
今日は曇りで湿気を感じるけれど、多分、明日の朝になれば雲が退いて青空が顔を出し、かっと暑くなるだろう。

コガネムシなんかと一緒にしてはいけない、日本車とフェラーリほど違う。

コガネムシなんかと一緒にしてはいけない、日本車とフェラーリほど違う。

 蚊に追われ、迫る夕刻の薄暗い森の帰路、沢の向こうでパキパキと枝を踏み折る微かな音がする。 そういえばエゾシカの姿を見掛けなかったな、と振り返り歩を止め、近くにいるであろうクマの様子を想像した。 人がいると思ったか、別のクマがいる、と思ったかはわからないが、パキパキと緊張気味の音はゆっくりと暗い森を遠ざかっていった。 さて、僕も帰ろう。

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最近、沖縄で希少なクワガタを数百匹採取の上、通常配達で送り、運送業者の手違いで多く日数がかかり死なせてしまい、それを裁判で訴えた昆虫採集家がいるという。
売買目的の採取で損害が出た、という主張らしいが僕はこの採集家自身にはもっともっと重い罪があると思う。
分別のあるはずの大人が身勝手な目的で自分の土地でもない場所へ出掛け、生態系に影響が出る程に生物を捕らえ、それが死んだと損害賠償を請求する。
盗賊のような、こういった行為と人物には嫌悪感を抱いてしまう。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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