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Vol.39 極北の子孫、森に閉ざされた魚

2014.9.9

 台風にはじまり、ほぼ8月いっぱいを雨が降り注いだ。
あまり乗り気にはならないが、降っているからといって撮影に出ない訳にも行かない。
雨の打ちつける中、或いは合間を縫って小雨の曇り空の下、撮影に出掛ける。
しかし、7月と8月にかけては体調を崩し気味だったせいもあり、思ったように予定をこなせなかった。

淵に群泳するオショロコマ。

淵に群泳するオショロコマ。

 先日、北海道南西部の川を潜ってきた。
もちろん撮影のためだが、自宅のある知床や周辺の道東地域にすっかり馴染んでしまったせいだろう、しばらくぶりの道南の水温が高い事に驚いた。
渓流だというのに20℃程度もある。
撮影は朝からはじまって昼に2時間程の休憩を挟み、その後18時過ぎまで水中カメラを掴み続けこれを6日間続けた。
いつもより暖かな水温では、むしろ無理ができてしまってヘトヘトになってしまう。
以前にも書いたが僕のウエットスーツは3mm厚で保温が充分ではない。
道東でこういった日程を組んだら間違いなく体調を崩す。
そう、僕が7、8月に調子が悪かったのは道東の冷たい水に浸かり過ぎたせいなのだ。

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河川によって個体の色彩が違う。

 色々な地域の水に身体を浸し温度を直に感じると、自然の風景のそれぞれの差異というものがよくよく理解できる。
いきものの性質も地域によって少しずつ違うし、植物の生える種類も大きく異なる。

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これらの美しい色彩を写真で再現するのは難しい。

大雑把な話だが、道南には標高の高くなる地域を除きオショロコマが生息しない。
僕が「暖かい!」と思うくらいだし、オショロコマは生理的に水温が15℃を超えてくると調子が悪くなってくるので温暖な南西部の環境に進出できないのは当然だ。
祖先は現在も北極海や北部太平洋沿岸地域に分布するドリーバーデンという魚で、サケのように川と海を行ったり来たりする。
元来は北極に棲むような魚種なので低温でなければ生きられず、北海道は世界分布の南限にあたる。

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イワナの生息を拒む低温の溪。

過去の氷河期、寒冷な時代にオショロコマの祖先は南下し、分布を広げた。
鮭は稚魚期の数ヶ月しか川に留まらないが、イワナやヤマメは数年成長し海へ降下したり、あるいは成熟し一生を川の中で過ごし、オショロコマも似たような性質をもっている。

こういった性質の獲得には地球の歴史が影響している。
氷河期が終り、気候の温暖な現在は海水温も温暖なものになった。
川も下流部では水温が上がり、オショロコマ達は海へ出られなくなり、イワナでさえも過ごせないような極冷の源流へ逃避した。
こうやって、人間の概念ではほぼ永遠といえるような時を、次の氷河期を夢見てオショロコマは森林の源流部に幽閉され続けている。

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中央部の個体は赤い斑点が消失している、銀毛(スモルト化)個体で海への降下準備が始まっている。
知床の川は流程が短く、河口まで低温が保たれるせいか時折、忘れ去られた祖先の習性を思い出したように降海個体が現れる。

 他魚種のいない、競争のない環境に定着することで生息域は群生がみられ、一見オショロコマ天国だ。
しかし、試みに丁度よい規模の河川を一つ選び、細長く流れる川の地図を眺めてみる。
曲がりや淵や瀬の、地形的に生息に適した場所を選び、実際に足を運び、彼らが棲んでいる限られたヶ所を割り出し、群泳ぐ魚のおおよその数を計算すると大した数にならない事が多い。

例えば、一つの河川に1千匹のオショロコマがいるとして、それは多いと言えるのか?
釣り人が一人10匹を持ち帰ったとして100人で釣り切ってしまう数だ。
一人が二回、三回と訪れる事もあるだろう‥とシュミレートしていくと危機感がせり上がってくる。
200匹程度が群泳するポイントが幾つかあっても×5カ所で1千に届いてしまうし(一つの場所に200匹もいる場所はほとんど無い訳だが)これくらいの数が現実の河川の多くの条件に当てはまってしまう。
  渓流や源流が環境の厳しく狭い範囲である事を考えれば、沢山いる、という見立ては局所的で間違った理解だとわかる。

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シマフクロウの幼い兄弟。
1930年代にはまだ多く見られたというが、現在オショロコマの捕食に依存する彼らの総数は全道で推定、僅か150羽。
分布はオショロコマの生息域と重複し、魚の生息数が充分ではない為に保護区内では養魚場を併設し人が餌を与えているケースもある。
減少の要因は様々だが、魚食性が強くオショロコマと共に生活する習性が一因になっている。

魚と触れ合う機会が最も多いのは釣り人だが、彼らは無意識にポイントを狙って釣っている。
狙って釣っているのに「沢山いる」という表現をよく耳にするけれど、これがいかに危ういものか。

 僕は以前、重篤な釣り人だった。
誇張ではなく、五歳前から竿を振っていた僕は麻薬中毒者のようなもので、どうやって竿を持つ手をカメラへ変えようか、かなり悩んだ。
しかし、川から魚が居なくなり、水中の風景が寂しくなり、竿を振るのが切なくなってすっぱり止めてしまった。

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滝直下の、僅かな巻き返しに集うオショロコマ。

誰かを悪く言いたいのではないし、まして釣り人を迫害しようという意図はないので趣味を止めて欲しい、(場所によってはそれも必要だが)ということではない。
しかし、自然や生き物を相手にする、という行為にかなりの繊細さが要求されるのは事実で、ある程度の自重や縛りは必要だ。
抑制をもって自分なりに考えて自然と向き合っている方は数多く居る、しかし‥。
よくある話なのだが、釣り雑誌で河川実名が紹介されてしまったり、人の集中で魚が居なくなった時に「居なくなったよね」と何気ない話題でさらりと流されてしまう時に強烈な違和感を感じずにはいられないのだ。それだけ?、と。

一丁前に跳躍する(後方はサクラマス)。

一丁前に跳躍する(後方はサクラマス)。

 原因は複合的で、オショロコマの減少には温暖化も強い影響を与えていると推察される。
単に温度が上昇するだけではなく、気候変動による集中豪雨もその一つで産卵直後に川を濁流が襲うことも非常に多くなった。
どちらも人間生活の影響だ、だとしたら少しでも要因を取り除いて対策する必要がある。

岩盤に張り付くように推進し、遡上を試みる。

岩盤に張り付くように推進し、遡上を試みる。

 あなたが釣り人で、そして釣り人ではない人も、もし自然を好きなら一度手を置き、無垢な気持ちで対象を眺めて欲しい。
身体を水に浸け、或いは土を気にせず、目線を合わせ、いきものや魚を暫く眺めて欲しい。

そこで感じた、それぞれの気持ちを大事にしてそれぞれの世界に生かして欲しい。
僕の仕事が、そういった事の手助けになればと願っている。

サクラマスに混ざり遡上を奮闘、彩られた魚たちに秋の予兆。

サクラマスに混ざり遡上を奮闘、彩られた魚たちに秋の予兆。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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