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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.43 聖域にて。

2015.1.6

 厳冬の北海道の、とある場所。

雪に残された、クマの足跡の底から広がる景色。

雪に残された、クマの足跡の底から広がる景色。

さらりと身体を呑み込んでしまう雪をかき分け、斜面を登り山奥へ進む。
厳冬とは言ってもカンジキを履いて歩いたり、登坂運動の連続だと寒さは感じないし、雪が全てを覆ってしまう冬は移動が楽だ。
行く手を阻むササの群生も無く、何より、どの季節よりも清潔感があって気分もいい。
しかし、これが危険でもあって、こまめに休んだり、重ね着の脱ぎ着をしていかないと汗で濡れて後が面倒だ。
その上、一見平坦な地形は思考を安易にさせ、危険な箇所への警戒も薄くなる。
夏期は遭難してもすぐに死ぬことはないけれど、冬期は水分で濡れたものは急速に温度を奪い去ってしまう。
何かを間違えれば凍気はすぐに苦痛をもたらし、数時間内に暗転と死を招き寄せる。
僕は登山家ではないのであくまで自分の感覚だが、冬山はスポーツの様に登るのではなく、山に棲まなくてはいけない。
冷気や降雪、風、思い通りになるものが一つもないし、急いでも焦っても何もひっくり返る事はない。

冬眠が遅れているらしい、二才程のクマが僕を見ている。

冬眠が遅れているらしい、二才程のクマが僕を見ている。

 それほど高くない一つの山の8合目あたり、小さな沢を登り切った場所に半洞窟が待ち受ける。
前部は吹きだまりの壁になっていて、奥の、降雪の当たらない場所へ身を置き、お茶が飲みたくなった僕はザックを降ろし、ガスバーナーに火を付けた。

熊送りの神殿、右端に柱状の巨石が幾つか見える。

熊送りの神殿、右端に柱状の巨石が幾つか見える。

以前の記事で、熊の霊送りの祭壇を紹介したのを覚えているだろうか?
この場所は、クマの頭骨が十数個祭られていた場所で、諸々はすでに史料館に収蔵されているものの、儀式に関連する祭具や狩猟者が山中での寝泊まりに使ったとみられる用具が残されていた遺跡だ。
考古学上の呼称では「岩陰の送り場」と呼ばれているが、僕は勝手に神殿と呼んでいる。

この石柱の下に頭骨群が安置されていたという。

この石柱の下に頭骨群が安置されていたという。

 アイヌによる動物の「霊送り」には幾つかの型がある。
字数の関係から詳細は割愛するが、大雑把な分け方を示すとイオマンテとオプニレという二つの概念だ。
イオマンテは2年程飼育した亜成獣サイズに育っている子グマや、古くは、より地位の高い神シマフクロウ、などの神を祭り(落命させ)踊り等を伴い、魂を神の世界へと送る儀式の盛大なお祭り。
オプニレは狩猟先での魂送りや、クマ以外のいきものや生活での機具、茶碗等の「物」を神の世界へ簡易に送る儀式。
この神殿は考古学上オプニレに分類され、新旧の狩猟者(遺構の存在を知っていたハンターも近代まで宿代わりにしていた)が寝泊まりしていた形跡も残されていたという。
祭られた頭骨群と共に、ヌサ(御幣)、子グマを飼育する木製の檻と、檻の内部には餌を入れる木製のうつわも発見されており、それらには手の込んだ思惑が感じられる。

石柱下。アイヌの習俗ではこういった空間や隙間、洞穴などが神の世と現世をつなぐアフンルパラ(あの世の入り口)だと考えられている。

石柱下。アイヌの習俗ではこういった空間や隙間、洞穴などが神の世と現世をつなぐアフンルパラ(あの世の入り口)だと考えられている。

北海道のヒグマはDNAの分類と生息域が大きく3種に分けられる。
これはクマが歴史的に大陸から北海道へ渡った機会が三回ありました、ということで、型の、それぞれの生息域の端では接触があり、重複した遺伝子型が存在するが、南、東、北といった正反地での混血型は存在しない。

神殿左側。

神殿左側。

神殿のクマ頭骨からは、その地に存在する事があまり考えられないクマのDNA型が検出された――。
遺跡において、誰がクマを祀り、儀式をしたのかは判明していない。
しかし、周辺にはアイヌの人々の集落があるし、遺跡の規模から考えても彼らの祖先が恐らくは関係しているのだろう。
外部から持ち込まれたクマが、どういった経緯で、どういった意図で持ち込まれたのか?、クマは死んでいたのか、生きていたのか?単に頭骨を持ち込んだだけなのか?民族間の交換会や交流で持ち込まれたのか?それとも移動距離が異様に長いクマだったのか? 空想は尽きない。
様々な過去への想像から、僕は遺跡を神殿と呼んでいる。

月が登った。

月が登った。

 コッヘルのお湯が湧き、お茶を淹れ、啜っていると夜のとばりが降りてきた。
風は止んだが半洞穴の外で、粉雪が無音の薄暮へ降り続いている。

  

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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