日本全国の動物園と水族館をつなぐ情報誌、「どうぶつのくに」「どうぶつえんとすいぞくかん」公式Webサイト

どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.47 清流のひょろひょろ。

2015.5.14

 いつもは原則、地名は公開しないのですが今回は趣向を変えまして、場所は北海道の南の茂辺地川(もへじがわ)で8~9年くらい前に撮った写真とともに、少し昔のお話です。

春の日差し、雪融けの濁りがだいぶ引いてきた。

春の日差し、雪融けの濁りがだいぶ引いてきた。

「シロウオ」という魚を知っていますか?
シラウオではなく、シロウオです。
ハゼ科シロウオ属の3~4センチほどの透明な魚で、雪融けが収束し、流れが澄むと海から産卵のため遡上します。

水が安定し、温度が上がると岩に張り付きつつ、遡上してゆく。

水が安定し、温度が上がると岩に張り付きつつ、遡上してゆく。

 僕は小さな生物の撮影ではなるべく近づいて魚眼で撮る、という手法を好みます。
これは被写体を大きく画面に入れ、周囲の環境も写せるからなのですが。
当時はフィルムカメラを使っていましたが、こういった撮影が可能な設計のレンズがまだありませんでした(色々とレンズメーカがあるので、単に僕が知らなかっただけの可能性もあります)。

ひょろひょろと、たくさんのシロウオが流れのたるみで休息し、更に上流を目指す。

ひょろひょろと、たくさんのシロウオが流れのたるみで休息し、更に上流を目指す。

少し専門的なお話になりますが、各種カメラのレンズには最短撮影距離というものがあります。
これは、レンズ面から一番近くでピントの合う位置には(近づける距離には)設定された限界がありますよ、という意味です。
なので、シロウオのような4センチ弱ほどの小さな生き物は小さく写ってしまい、もしくはピントが合わず、不向きな撮影法でした。

 

4

 

ゆらゆらと、しかし力強く遡上するシロウオの群れをどうしても撮影したかった僕は色々と試みて、なんとか雰囲気を撮影することには成功しました。
これもちょっと専門的ですが、フラッシュやレンズの絞りを使い、風景のようにフィルムに収めたのです。
と言っても、生き物のように動くものや、近距離の被写体にきっちりピントが合った画像は撮れませんから、自分としては不完全な悔いの残るものでしたが。
結果的にこれは正解でした。
というのも、次の年にシロウオが全くいなくなってしまったのです。

透明な体には、青空がどう見えているのだろう?

透明な体には、青空がどう見えているのだろう?

原因は不明ですが、幾つか考えられます。
上流では河原に高速道路と新幹線の橋脚を作っていて、川底を掘ったのか、土砂を入れたのか、わかりませんが度々濁り、細かな砂(シルト)が流れていました。
シロウオは寿命が1年なので、もし川に産卵された卵が細かな砂を被り、呼吸ができずに死んでしまうと簡単に全滅します。
近日に大雨が降った、とか、農薬が流れた、とかはなかったようなので(毒物であれば他の魚種にも影響がある)これが可能性として一番高いと思います。
シーズン中、来る日も来る日も川岸を歩き探しましたが、結局、シロウオを見つけることはできず。

僕を見つめる小さな眼。懸命に物怖じせず上流を目指す。

僕を見つめる小さな眼。懸命に物怖じせず上流を目指す。

 丁度桜が咲いて、散るか散らないかの今頃、川の河口には十数人の大人が集まり、川の流れに沿って網目の細かい40センチ四方くらいの自作のカゴを仕掛けます。
流れに逆らって遡上してきたシロウオはそれとは知らずカゴに入り、一度入ると出ることはできません。
これを集め、踊り食い、吸い物、かき揚げ、卵とじで食べます。
食べ方はいろいろありますが、正直、単に薄い魚の味でシロウオに特有の味というものは無いように思います。
ただ、味がどうであれ、それを採ったり食べて実感することが寒い冬を越えた季節の到来の証明ですし、もっと大きく言えば、体を動かして、道具を作って、考えて、仕掛けて、捕まえて食べる、その一連の事柄が茂辺地の周辺に生活する方には生きている事の実感そのものだったりします。
僕はいつも、この時期に河口に並ぶ大人たちを「いいなぁ」と羨ましく眺めていました。
漁法も経験も、幼い僕には手の届かないものだったのです。

 

7

 

 大人になり、写真という手法ですがシロウオと関わる事はできました。
そして学業の為、長い間北海道を離れていたとはいえ、やっとこうして撮影に至り、間に合ったもののすぐにお別れです。
数年間は期待を持って、どちらかというと諦めきれず、その時期に川岸を探しました。
いなくなって二年目、早い流れの中に偶然、一匹がひょろひょろと泳いでいるのを見つけた時には生き残っているものがいたのかと、胸にこみ上げるものがありました。
しかし、生き物の存続には最低限の個体数が必要です。
そしてそれ以来、姿を見かけることは未だにありません。

清流は健在だが、今もって小さな生き物の歴史は途絶えている。

清流は健在だが、今もって小さな生き物の歴史は途絶えている。

 シロウオ自体は日本各地と北海道の一部に生息していますし全国で漁獲もされているので、姿を見ることはできます。
けれども、今の時代に河口まで透明度の高い清流は少ないですし、気に入った川と、風景と、人々が揃った環境でシロウオを見たいのです。

今でもこの時期、僕はなんとなく気持ちの中でこの川のシロウオを待っています。
当時シロウオを採っていた老人達も、もしご存命であれば僕と同じような心地かもしれません。

  

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

カテゴリー

カテゴリー一覧

このカテゴリーの他の記事

ページTOPへ

Copyrights © 2010 Doubutu-no-kuni All Rights Reserved.
誌面、Webにおけるあらゆるコンテンツの無断複写・転載を禁じます。