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Vol.51 イワナ

2015.9.3

 「小ブナ釣りし、かの川‥」という唱歌があるけれど、僕のそれはイワナだった。
イワナを本格的に釣り始めたのは小学2年の頃だったと思う。
用水路で釣っていたので「イワナは清流に棲む魚である」という図鑑や釣りの本の記述の意味がよくわからなかった。

 5月、ツマグロ化(背ビレの黒化/降海期の特徴)したイワナが海へ向かって下り始めていた。 サイズは12センチほど、2~3齢と推定される。 イワナは河川残留型で、アメマスは海や湖への降海型の呼称。 生息する河川が過密状態だったり、川での生育が不利な場合、海へ下る習性を持つ。

 5月、ツマグロ化(背ビレの黒化/降海期の特徴)したイワナが海へ向かって下り始めていた。
サイズは12センチほど、2~3齢と推定される。
イワナは河川残留型で、アメマスは海や湖への降海型の呼称。
生息する河川が過密状態だったり、川での生育が不利な場合、海へ下る習性を持つ。

水路は狭いので、長い竿ではうまく扱えない。
当時の僕は竹の継ぎ竿を使っていたのだが、竿の後部を抜いて短くし、若干長めの仕掛けで釣るのが好みだった。
こうすると、用水路の土管の中に仕掛けをうまく流しこめる。
土管の中には大きめのイワナが潜んでいるのだ。

澄んだ瞳、海を目前に心なしか笑っているように見える。

澄んだ瞳、海を目前に心なしか笑っているように見える。

あぜ道にしゃがみ、竿を下ろし、早瀬の透明な水の中にミミズがモゾモゾうごめきながら流れ、土管の中に吸い込まれていくのを見送る。
ミミズが土管の中くらいを過ぎたであろう頃「ごつん」 とした手応えがあって大ぶりの暴れるイワナ(といっても25センチほどだが)を暗がりから引きずり出す。
小さなイワナは水路の全体で釣れるものの、土管の埋設場所は作業車両を通す、いわば「橋」なので数の少ない絶好の釣り場であった。

山あいを流れる川に大粒の雨が降ってきた。

山あいを流れる川に大粒の雨が降ってきた。

 父や実家の周囲の叔父さん達は皆、イワナ釣りの達人だった。
彼らは時々、山深い渓流へ僕を連れて行ってくれたが川では彼らに負けないように張り合って釣った。
しかし、思えば大部分で僕に花をもたせてくれていたようだ。
というのも、警戒心が強い魚なので一場所で一匹か二匹釣れると場所が荒れてしまい、エサを食ってこなくなる。
渓流釣りは次の場所を求めて歩き続ける釣りなので、本気で競っていたら上流へ向かって河原を歩く速度の速い大人にかなうわけがなく、先々で釣られてしまい簡単に釣り負けていただろう。

わずかな増水に流下する餌も増え、イワナも活気づいている。

わずかな増水に流下する餌も増え、イワナも活気づいている。

冷たく滔々と流れる川には一見、魚の存在を感じることはできないが川の中にはイワナが溢れるほどいた。
その証拠に「今日は釣れない」ということが無かった。
もし、大人がムキになって釣り始めたら魚籠がいくつあっても(大抵の魚籠(ビク)には40~50尾入る)足りなかったはずだ。

 淵に定位し、餌を待ち水面を意識するイワナ。 アメマスとの外見上の違いは、腹部の黄色や体側にわずかに見える楕円紋様と白点のパターン。 しかし個体差もあり、腹部の黄が薄いものや、サイズによっても印象が変わる。

 淵に定位し、餌を待ち水面を意識するイワナ。
アメマスとの外見上の違いは、腹部の黄色や体側にわずかに見える楕円紋様と白点のパターン。
しかし個体差もあり、腹部の黄が薄いものや、サイズによっても印象が変わる。

僕は、このたくさんのイワナが小さな川のどこから湧いてくるのかが不思議だった。
「誰かが放流してるのさ」という知ったかぶりの意見も一部の大人から聞いたが、この北海道の原野に大量に、なんの利益もない放流をする者なんているわけがないのは子供でもわかる。
しかし、そういった意見も、それはそのままイワナを不思議に思う気持ちから来る意見ではあったろうし、今となっては夢のような贅沢な環境だった。

 50センチほどの大イワナを見かけた。 白点の細やかさや顔つき、尾びれに及ぶ模様が海へ降ったことのない証明になる。 少し目を痛め、体に幾つかの擦り傷もあった。一体、何年を生きているのだろう? 

 50センチほどの大イワナを見かけた。
白点の細やかさや顔つき、尾びれに及ぶ模様が海へ降ったことのない証明になる。
少し目を痛め、体に幾つかの擦り傷もあった。一体、何年を生きているのだろう? 

そんな恵まれた場所であったからこそなのだが、イワナが釣れる、ということで雑誌や本などに川の実名入りで取り上げられる事が増えていった。
僕の知る範囲だが、地元の釣り人より、遠方からやってくる釣り人が無茶をして数を釣り上げ、持ち帰っているようであった。
こうやってヨソ者が川を跋扈し、イワナを蹂躙し、十年ちょっとで魚は目に見えて減ってゆく。

降海型の「アメマス」比較例として。 アメマス、詳しくは過去のvol 28で紹介しているので興味のある方はどうぞご覧ください。 

降海型の「アメマス」比較例として。
アメマス、詳しくは過去のvol 28で紹介しているので興味のある方はどうぞご覧ください。 

しかし、遅かれ早かれ、魚は居なくなる運命だった。
というのも、僕が好んでイワナ釣りをした水路はコンクリの三面護岸になり、川沿いの道は奥地まで舗装され、車が簡単に進めるようになり、町の区画整理や整備であちこちの支流や本流の川も護岸が増え、ダムもできた。

雨が上がった。

雨が上がった。

こうした変化が広範にあった生息地を奪い、川への簡易なアクセスは減少した魚にさらに追い討ちをかける結果を生んだ。
イワナの棲む地域の人々が、イワナと川に再生不可能なとどめを幾つも刺したのだった。
その変化を僕はただ傍観し、魚が居なくなってしまうよ‥と家では話をしていたが、ああ‥と思うばかりで何もしなかった。

 イワナは大きな落差や、浅く細い沢も蛇のように這い上がり源流点を目指すことができる。 魚の多かりし頃は、雨や水位の変化があるとそれぞれの水域を移動し、沢や本流などを経て交流や補充がなされ、「イワナが湧いて」いたのだろう。

 イワナは大きな落差や、浅く細い沢も蛇のように這い上がり源流点を目指すことができる。
魚の多かりし頃は、雨や水位の変化があるとそれぞれの水域を移動し、沢や本流などを経て交流や補充がなされ、「イワナが湧いて」いたのだろう。

 イワナが「清流に棲む」事の意味を僕がなぜわからなかったかというと、当時の身近な川も、用水路も、全てが清流だったからに他ならない。
時間の経過と共に、開発でダメになった郷里の川や、学業の為に移り住んだ本州の川を見るにつれ、その都度、過去の川を想わずにはいれなかった。
今も、清流は脳裏について回っていて、なんとなく抱えてしまう時にはふと、イワナが頭をよぎる。

 大岩の下に大きめのイワナが隠れていた。 すでに、秋の産卵へ向けての気配が漂う。

 大岩の下に大きめのイワナが隠れていた。
すでに、秋の産卵へ向けての気配が漂う。

訳あって海へ旅立った僕は回遊し、あてどもない旅を続けている。
僕自身もイワナであり、アメマスではなかったか?
いつか川へ戻り遡上する? どこの川へ?

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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