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Vol.58 柳葉魚の春。

2016.4.4

 毎年言っているので気恥ずかしい感じもあるのだが、昨年に輪をかけて「らしくない」冬だった。
雪は極端に少なく気温は高い、流氷は僅かで接岸も史上最遅‥当然、海水温だって高い。
いつも居る、あらゆる種類の鳥がおらず、森の中は気配がない。
周辺の友人達とも顔を合わせるたびに「変だよね」と困惑を共有していた。
これを暖かくて過ごしやすい、と言う意見もあるだろうが、僕は今からでも-20℃に気温が下がり、ばんばん雪の降る冬が戻って来てくれないだろうか?と本気で考えている。 吐息が凍るような、寒い冬が好きなのだ。

 シシャモの稚魚。 昨秋に産み落とされた卵が孵化し、4月頃、海へ降下する。 孵化直後は1センチもなく半透明なため、視認が困難だ。 

 シシャモの稚魚。
昨秋に産み落とされた卵が孵化し、4月頃、海へ降下する。
孵化直後は1センチもなく半透明なため、視認が困難だ。 

 僕は、幾つかの生き物に特に強く思いを寄せていて、その一つがシシャモだ。
シシャモとは15年程度の付き合いになるが、思いを募らせていた年数を足すと30年ほどの時間が経っている。
どうして好きなの?と問われると後付けの説明は幾らでもできるが、明確には答えられない。
理屈抜きで興味を惹かれるから、写真を撮ったり捕まえたり、付き合っているんだろうと思う。

昨晩秋のシシャモ遡上群、資源量が落ち込んでいる。

昨晩秋のシシャモ遡上群、資源量が落ち込んでいる。

子供の時分の世界観というのは何一はっきりしたものがなくて、観念の無い、モヤモヤした夢のような空気感だと思う(少なくとも僕はそうだった)。
色々な噂や、どこそこに何がいて、という情報が映画や小説のようでもあり、想像力だけが際限なく膨らんでしまう「ごくり」と唾を飲む毎日。
そこへ「シシャモが遡上している、らしい」だ。
こうした他愛のない情報を基に、外の世界への好奇心が溢れ、僕の自転車での行動範囲が飛躍的に広がっていった。
しかし、シシャモの遡上地は車で3時間ほどの場所で(北海道で車の3時間は大体200キロほどある)子供の脚力では無理だったし、周辺の生き物に詳しかった僕は、知り合いの居ない、情報のない場所での生き物との遭遇がどれほど難しいかを子供ながらに知っていた。

婚姻色で真っ黒く変化したオス。(孵化場・採卵個体)

婚姻色で真っ黒く変化したオス。(孵化場・採卵個体)

そして、そのシシャモに会えない、思い焦がれる年月を、さらに焚き付けたのが図書館や自宅で見る図鑑や写真集だった。
全く面識がないのだけれど、道南の八雲町に住まわれている稗田一俊さんという写真家がいて、彼の撮るシシャモはもちろん、川や魚類、自然の写真がとにかく素晴らしかった。
僕は面倒なことが大嫌いな性格で、難解な計算が必要そうなカメラには興味が無かったのだけど、生き物を自由に追える職業がある、というのが子供心に羨ましく、稗田さんの写真を眺めては焦れていた。

抱卵したメス。メスは体色変化はなく、産卵後海へ降下し 次年の産卵に参加するものもいるという。

抱卵したメス。メスは体色変化はなく、産卵後海へ降下し
次年の産卵に参加するものもいるという。

こうして15年くらい前から、やっとシシャモとの実際の付き合いが始まり、これはまた、段々と心が沈んでゆく時間の始まりでもあった。
最初の2~3年はシシャモの生息数も多く、良かった。
しかし、遡上期は「シシャモ荒れ」といって雷が発生し、大雨が降り、河はすぐに濁流と化してしまい、撮影にならないことが多い。
調査や観察をし、撮影可能なタイミングを知り、実際にこぎ着けるまで少なくとも1年は犠牲になるし、当時はiso感度の低いフィルムカメラを使っていて、少しでも濁ると撮影は不可。

シシャモ孵化場内部の様子。 一区画にしか水が張られていないのがわかる。

シシャモ孵化場内部の様子。
一区画にしか水が張られていないのがわかる。

光量の大きなストロボや、思うように撮影のできる満足な機材も持っていなかったし、まだまだ自分の技術も安定していなかった。
当時も今から見れば僅かだけれど気候の変化は感じていて、来年もシシャモは来てくれるだろうか?写真は撮れるだろうか?と、ほとんど祈る気持ちで過ごしていた。
そして、願いとは裏腹にシシャモは段々と数を減らし、産卵床の位置を特定するのが困難になり、今では道南、遊楽部川での遡上を僕は確認できていない。

(シャーレの中)小石に付着したシシャモの卵。

(シャーレの中)小石に付着したシシャモの卵。

 北海道のシシャモは道南の噴火湾のものと、太平洋のものに大きく分けられ、唯一、世界中でこの地域にしか生息していない。
道南の重要な撮影地を失った僕はここ数年、道東でシシャモの撮影を試みていた。
道東は泥炭層が発達しているのでもともと濁った川が多く、ほとんどの場合で撮影には向かない。
しかし、その中でも幾つかの川には透明な水が流れていた。

暖かな陽が、水中に春を届ける。

暖かな陽が、水中に春を届ける。

もう10年ほど前になるが、このシシャモの遡上する透明な流れの川にダムが出来た。
ダムができると、ダムに堆積した微細な泥が舞い流れ、うっすらと川は濁ってしまう。
微細な泥(シルト)は川底の砂利の隙間を埋め、魚類の生息や産卵を難しくし、仮に産卵ができても魚類の卵の表面に付着し、卵を窒息死させる。
当時、完成間近のダム工事を見て、この地域の行政は何を考えているのだろう?と憤った。
何故なら、この町は昔からシシャモをブランドに町おこしをしていたからだ。
ここのシシャモも終わった、と僕は思った。

泳ぐシシャモの稚魚。

泳ぐシシャモの稚魚。

この時、シシャモの人工孵化場を管理する寺沢さんに僕は出会った。
たくさんのシシャモの親魚は網で採取され、隣町の釧路川から孵化場へ運ばれてくるのだが、この網にウグイやヤツメウナギなどの雑魚もかかるので、その仕分け作業を見るのが楽しかった。
彼に頼めば孵化場を見学させてくれるし、何より、熱心にシシャモについて語ってくれるのが好きだった。
忙しいだろうから、と数年に一度しか孵化場を尋ねなかったが、思い起こせばもう10年。

実物はほとんど糸くずにしか見えない。 海へ流下後、2~3年を海で過ごし、成熟、遡上する。

実物はほとんど糸くずにしか見えない。
海へ流下後、2~3年を海で過ごし、成熟、遡上する。

昨晩秋、撮影に出かけ、久しぶりに出会った時、寺沢さんは暗い顔をしていた。
シシャモがいないらしい。
親魚が確保できていないので、シシャモの群れを見かけたら教えて欲しいと頼まれてしまった。
ついでにシシャモの資料撮影として、孵化場を見せてもらう。
10面ほどのプールには本来、全部で親魚1万尾分のシシャモ卵が収容できるという。

 

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しかし、水が張られたプールは1面だけで、卵は親魚500尾分だけ‥。
1尾のシシャモのメスが抱卵する卵の数は5000~10,000個。
生態上、抱卵数が多い、ということは捕食されたり、病気や気象で死んでしまう卵や稚魚が多いということだ。
「親魚500尾分の卵」の数量は人工・自然を問わず、生物の繁殖の維持には何も貢献しない数だと思う。
寺沢さんにはうっかり聞き忘れたが、孵化場での死卵の割合が気になった。
というのも、プール内の水もシルトで濁っていたからだ。

 アイヌの方々が祀る、魚神へ捧げられた御幣。 温暖化の影響も考えられ、一地域での解決がそもそも可能かどうかもわからないが。 魚神に許しを請い、一定期間の禁漁や川環境の保護など、抜本的な対策を練らなければ僕たちはまた一つ、地上から愛すべきものを失うだろう。 

 アイヌの方々が祀る、魚神へ捧げられた御幣。
温暖化の影響も考えられ、一地域での解決がそもそも可能かどうかもわからないが。
魚神に許しを請い、一定期間の禁漁や川環境の保護など、抜本的な対策を練らなければ僕たちはまた一つ、地上から愛すべきものを失うだろう。 

これとは別に、ある漁師さんからは「そもそもシシャモを採り過ぎだ、実際には規定漁獲量を超えて漁をしている」との意見を聞いた。
そして最近の、温暖化による海水温の極端な上昇も、冷水魚であるシシャモの生態に良い影響を与えないだろうし、もしこれが原因であれば世界を説得するには時間がかかり、対策する時間はもうないだろう。

孵化場を管理している寺沢さん。 お話を伺っていると、シシャモの行く末を案じる気持ちがひしひしと伝わって来る。  

孵化場を管理している寺沢さん。
お話を伺っていると、シシャモの行く末を案じる気持ちがひしひしと伝わって来る。  

 道東の川では晩秋に産み落とされた卵が丁度今、孵化し、糸くずのような稚魚が、春の陽射しを受け海への降下を始める。
遡上や産卵、春の孵化、こういった一連の習性やそれが見られる場所を、時間をかけ丹念に調査し、身についたものや、これらの川を宝物のように思っていた。
しかし、シシャモ荒れや、シルトの濁りに悩まされたり、群れの規模が小さかったり、条件が揃わずで、ここ数年、遡上の撮影は失敗している。
魚の姿だけでも見ることができれば‥と半ば祈るような気持ちで過ごしているが、恐らく、ささやかな願いが届くことはない。
僕は再度、この愛すべきものを失うだろうと、すでに覚悟を決めている。

著者プロフィール

八木直哉(やぎ・なおや)

1975年北海道生まれ。
写真家。動物、魚類、鳥類、両生類、昆虫、などを撮影している。
北海道の本来の野生と人の関わりの痕跡が現在のテーマ。
愛用の機材はNikon F5 F100 FM2 D300

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