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どうぶつのくに どうぶつえんとすいぞくかん

Vol.49 キョン

2014.6.25

 東カリマンタンに入り、山中で生活をしていた時のことです。初めて夜の調査に出かけました。もちろん一人です。宿舎を離れて森へ入ると、そこは漆黒の闇、小さなヘッドライトだけが頼りです。

「ウォーッ」。突然、短く鋭い声がしました。「何だろう」。「危険な肉食獣はいないはずだ」と思いながらも、私は不安な気持ちで山道を歩きました。声は、その後も何度か聞かれましたが、正体を見ることは出来ませんでした。

 翌朝、作業員が「キジャンだ」と教えてくれました。キジャンとはインドネシア語でキョンのことです。「ウォーッ」とよく鳴くので、英語ではBarking Deer(ホエジカ)とも呼ばれています。キョンの仲間は小型のシカで、インドから中国南部、東南アジアにかけて分布します。12種類に分類され、多くはインドシナ半島に棲息しています。シカの仲間ですから、角はオスにだけあり、毎年、生え替わります。

 長い滞在生活では、日中、キョンに遭遇することもありました。メスには角がないので、林道を駆け抜けて横切る時は、シカと言うより、中型のイヌのような印象を受けます。ただ、尻の部分が真っ白で、それによってシカと分かるのです。

インドキョン、オス。角が生え替わる時期。

 ボルネオには2種類のキョンが分布しています。インドキョンとボルネオキョンです。

 インドキョンは頭胴長80から110センチ、尾長13から20センチ、肩高50から55センチ、体重17キログラムほどです。肩高とは主に蹄を持つ動物の大きさの指標で、四肢で立った時の肩の最上部までの高さのことです。背面は赤褐色で、正中線部分は黒みが強くなっています。キョンの中では一番広範囲に分布し、インド、スリランカからヒマラヤ、中国南部、インドシナ、さらにマレーシア半島、スマトラ、ジャワ、バリにも棲息しています。ボルネオでは全域に分布、普段見かけるキョンは多くが本種です。

 ボルネオキョンはボルネオ固有種です。ほぼ全島的に分布しますが、多くは低地帯です。私の経験ですが、サバ州よりカリマンタンの方が遭遇の機会が多いと感じています。

 頭胴長85から90センチ、尾長15から19センチ、肩高65センチ、体重14から18キログラム。大きさではインドキョンとほぼ同じです。体色はインドキョンに強い黄色味を加えた感じです。一瞬の目撃では、この体色の違いが両種を見分けるポイントになります。また、首の後から背の正中線は幅広い暗褐色の帯模様になっています。両種に共通して腹面は白に近い色。尻と尾の下面はニホンジカと同様、白いパッチになっています。

ボルネオキョン、メス。猟師に仕留められた個体。

 両種は角に大きな違いがあります。オスでしたら、角の形で両種の識別が出来ます。キョンの仲間に共通することは肉茎があることです。一般のシカ類では、角が生える部分で、頭骨が僅かに隆起しているだけです。ところがキョンでは、頭骨の一部が長く伸びて角のようになっています。この頭骨の棒状になった部分が肉茎です。インドキョンでは8から15センチ、ボルネオキョンでは10センチ程です。本当の角は、この先端から生えてきます。インドキョンでは角の長さ7.3から13センチ、根元に枝のような短い突起物があります。この角の部分を利用して、地元民がパイプを作ったりします。手頃な長さのようです。

 一方、ボルネオキョンの角は付属物がなく、長さ2から4センチ程度で短い突起物のような感じです。ただ、実際には一瞬の目撃だけでは両者の角の違いは判別できません。

 ボルネオの2種類のキョンは、森林に棲み、開けた耕作地や川原などには出て来ません。主に夜間活動しています。また早朝、あるいはめったに人が来ない山中では、日中でもしばしば目撃されます。群れは作らず普段は単独行動か、せいぜい2頭が一緒にいるだけです。同じシカ科のスイロクは、母子が小集団を作って行動し、保護区などでは夜間、開けた草地にも出てくるので、じっくり観察出来るし、写真撮影も難しくありません。ところが、キョンは人と遭遇すると決まって逃げ出すし、写真も撮りにくい動物です。これは長い狩猟圧だけでなく、単独生活をしていることと関連があると考えられます。自分の身は自分自身で守らねばならないので、常に警戒を怠らず行動しているのです。

2種の角の違い。

 さて、日本で良く話題になり物議を醸しているのは、千葉県南部の房総半島に棲むキョンです。本種は中国東部と台湾に自然分布していますが、日本では房総半島と伊豆大島へ移入されました。在来の動物ではありません。それが野生化し、増え続けています。

 頭胴長70から80センチ、尾長12から13センチ、肩高45から50センチ。体重はオスの成獣で14から15キログラム、メスで12から13キログラムほどです。

 房総半島で野生化したキョンは、以前勝浦市にあって2001年に閉鎖した観光施設から広がったものです。その時期は1960年代から1980年代の間と推定されています。現在の推定棲息数は3万頭を超え、有害獣としての捕獲も1年間で1500頭に及んでいます。

 房総半島と伊豆大島では、キョンによるイネ、トマト、ミカン、スイカなどの農作物被害が発生。また、人家の庭にまで侵入して樹木や草花も食べあさっています。さらに、自然植生の食害も懸念される事態となっています。

 考え方次第ですが、キョンのなめし皮はきめが細かく、セーム革の中でも最高級品とされます。また、肉質は柔らかく、脂肪も少ないため、台湾や中国では薄切りまたは細切りで炒め物にされます。駆除と並行して、そんな利用方法もあるのではないでしょうか。

 

和名   インドキョン        ボルネオキョン              キョン
学名   Muntiacus muntjak    Muntiacus atherodes         Muntiacus reevesi
英名   Red Muntjac        Bornean Yellow Muntjac      Reeves’s Muntjac

著者プロフィール

安間 繁樹(やすま・しげき)

東京大学大学院博士課程修了。農学博士(哺乳動物生態学専攻)。
世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。公益財団法人平岡環境科学研究所評議員。2004年 市川市民文化ユネスコ賞受賞。
若い頃から琉球列島に関心を持ち、とくにイリオモテヤマネコの生態研究を最初に手がけ、成果をあげた。1985年からは、おもに国際協力機構(JICA)海外派遣専門家として、ボルネオ島で調査および研究指導に携わってきた。西表島とボルネオ島に関し、あるがままの自然と人々の営みを記録すべく歩き続けている。
著書 西表島および琉球列島関係
『ネイチャーツアー西表島』(東海大学出版会)、『西表島自然誌』(晶文社)、『石垣島自然誌』(晶文社)など
ボルネオ島関係
『キナバル山 ボルネオに生きる自然と人と』(東海大学出版会)、『ボルネオ島最奥地をゆく』(晶文社)、『ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド』(文一総合出版)など多数

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