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Vol.55 ボルネオヤマネコ

2014.12.25

 サバ州野生生物局に勤務していた2000年4月のことです。「ボルネオヤマネコの輸出申請があるが」と、職員が相談に来ました。「まさか」と私は思いました。私が一番会いたいと思って1985年以来、探し続けてきた動物です。極端に情報のないヤマネコが捕獲されたとは信じられないのです。しかも「2頭だ」と言うのです。これまで標本は世界で9点のみ、しかも、ほとんど不完全なものばかりです。最初の記録は1855年、サラワク州で捕獲されました。毛皮の一部が大英博物館にあります。その後、長らく記録がありませんでした。それが1992年、62年ぶりにサラワクで捕獲されました。これが、研究者が調べた唯一完全な標本です。その後1999年、やはりサラワクで1頭が捕獲されました。

 その後2009年時点で、世界にある標本は12点。1999年の個体と、私が関係する2個体が完全な標本として加わったことになります。このように極めて珍しいヤマネコですから、上記の情報も、私は「間違いでは」くらいに受け止めていました。

 野生ネコ類は、ほとんどワシントン条約の付属書1に挙げられ、輸出の際、輸出国と輸入国両方の許可が必要です。ただ、ボルネオヤマネコは情報が少ないという理由から付属書2で扱われ、輸出国の許可だけで足ります。今回の輸出に関しては、決定権を持つ局長が書類作成を指示したのですが、貴重な種だと認識した職員が、私に尋ねにきたわけです。

全身ほぼ赤褐色。

全身ほぼ赤褐色。

 私は局長に会い、ワシントン条約の趣旨や、ボルネオヤマネコの貴重性を解きました。しかし、彼の決定を覆すことが出来ませんでした。そこで私は、本当にボルネオヤマネコなのかを確かめ、もしそうだったら、新たな対策を考えることにしました。

 申請者は動物貿易商でした。ヤマネコは小さなケージに入れられ、台所のすみに置かれていました。全身赤褐色で、すらっとした体つきは、紛れもなくボルネオヤマネコです。体を後ろに退き威嚇し続ける姿に、私は多少とも衝撃を受けました。「うれしさも中くらいなり初対面」です。本当は1対1で深い森の中で会いたかったのです。ケージの外からですが、私はスケールを使ってていねいに体の部位を測定しました。ところが、家には1頭だけです。「もう1頭は」と尋ねると、主人は「別の所だ」と車で案内してくれました。

 山あいの飼育舎には、ワシやキョン、ヤマアラシ、ハクビシンなどが入ったケージが雑然と置かれていました。こういった野生動物を輸出するのが彼のビジネスです。ケージの1つにボルネオヤマネコがいました。私は、先程と同様にていねいに測定しました。

 2頭のボルネオヤマネコは、サバ州での最初の記録です。私は国際自然保護連合のネコ科委員なので、捕獲の経過と、カナダへ輸出することをスイスにある本部に報告しました。

 事態を知った委員会は、輸出を容認できないという意見でまとまり、カナダ側の受け入れを辞退させることにしました。アメリカとカナダの委員が動き、受け入れる動物園を探し当てました。ところが、動物園は「受け入れ予定はない」と言うのです。少なくとも、その時点でネコは到着していませんでした。その直後、私は休暇で一時帰国しました。

体毛が短く、顔つきも他のヤマネコと違う。

体毛が短く、顔つきも他のヤマネコと違う。

 再びサバに戻り、「どうなっているのか」と案じていた7月初旬、畜産局のクリニックから電話が入りました。「ボルネオヤマネコを検査した。今は冷凍保存している」と言うのです。2頭は、私が見た直後、輸出前に死んでしまったのです。

 私は、すぐに畜産局へ出掛けました。ところが、「書類は見せられない」、「遺体は職員にあげることになった」と言うのです。「これはだめだ」。危機感を覚えた私は、野生生物局に書類を作らせました。一番の権限を持つからです。こうして私は、取り上げるようにして、遺体と検査結果を入手し、ひとまず、野生生物局のフリーザーで保管しました。

 しばらくして、スコットランド博物館から「ネコ科委員会から聞いた。博物館で保存したい」と言う手紙が届きました。私は、それが最良と考え、「最高技術をもって剥製を作ること。将来返却すること」を条件に、野生生物局と博物館の間に文書の交換を実現させました。そして、2001年2月、フィル・ホワード氏を迎えました。世界一の剥製技術者です。私は、彼の作業を15名の上席職員に見せ、4日間の剥製技術講習を行いました。

 さて、今回の2頭は、ケニンガウ奥のナバワン近郊で捕獲されました。一帯は標高400から450メートル。1960年代から伐採が行われ、その後は荒れた林になっています。

耳の後側は黒色。右前足の傷はワナによるもの。

耳の後側は黒色。右前足の傷はワナによるもの。

 1頭目はメス、2頭目は若いオスで、頭胴長40から45cm、尾長33から37cm、体重2から2.5kgです。歯の総数は30本で、ほとんどのネコ類に共通の数でした。

 体色は2頭とも赤褐色で、四肢の先までほぼ単一色。尾の上面も同様ですが、下側は黄色を帯びたクリーム色。胸も赤褐色ですが、僅かに明るい色調になっています。耳はイエネコに比べるとかなり小さく、後面は黒一色です。ボルネオヤマネコの体色は、赤褐色と黒灰色の2つのタイプがありますが、現在ある12体の標本のうち、10頭が赤褐色です。

 ボルネオヤマネコは、アジアに棲息するゴールデンキャットにそっくりです。ボルネオ島が大陸から分離した後、島内でゴールデンキャットから種分化した独立種だからです。

 私が日本へ戻った後の6月、スコットランド博物館から写真が届きました。そこには、ライオンを思わせる躍動感あふれるボルネオヤマネコの姿がありました。死を無駄にしなかったことに多少の安らぎをおぼえながら、密猟に遭わなければ、ボルネオ島の密林で生き続けていたのだと思うと、私は悔しい気持を抑えることができませんでした。

   

和名    ボルネオヤマネコ
学名    Catopuma badia
英名     Bay Cat

著者プロフィール

安間 繁樹(やすま・しげき)

東京大学大学院博士課程修了。農学博士(哺乳動物生態学専攻)。
世界自然保護連合種保存委員会(IUCN・SSC)ネコ専門家グループ委員。熱帯野鼠対策委員会常任委員。公益財団法人平岡環境科学研究所評議員。2004年 市川市民文化ユネスコ賞受賞。
若い頃から琉球列島に関心を持ち、とくにイリオモテヤマネコの生態研究を最初に手がけ、成果をあげた。1985年からは、おもに国際協力機構(JICA)海外派遣専門家として、ボルネオ島で調査および研究指導に携わってきた。西表島とボルネオ島に関し、あるがままの自然と人々の営みを記録すべく歩き続けている。
著書 西表島および琉球列島関係
『ネイチャーツアー西表島』(東海大学出版会)、『西表島自然誌』(晶文社)、『石垣島自然誌』(晶文社)など
ボルネオ島関係
『キナバル山 ボルネオに生きる自然と人と』(東海大学出版会)、『ボルネオ島最奥地をゆく』(晶文社)、『ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド』(文一総合出版)など多数

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